From A Spark To A Song –
Turn The Dirt Over

3. “Turn The Dirt Over”

“僕がとても大事にしていた人々から、僕の嘆きに満ちた悲しみを、どれだけ遠ざけたいと思っていたとしても、僕を訴える人々の断定的な虐待から隠した、僕の脆弱さのお飾り的な冠を保ち続けるために、どんなに戦ったとしても、ぼくが自らを悩ませる諦めと、僕の苦しい宿命を、疲れ果て沈んだ自分自身から、どんなに否定し続けたとしても、僕は分かっていた。何となく、朝の光を見ることが出来る限り、1日の最初の日の光のそよ風を感じることが出来る限り、僕は隠れることが出来ただろうと分かっていたんだ。僕は戦うことも、否定することもできなかっただろう。分かっていたんだ…僕が嘆きの精神を、夜明けの公現的な光の中へと浸すだろうと、どんなまやかしで自分を満たしていたとしても、僕の苦しみを感謝祭の多くの憐れみに浸すだろうと、僕は自らに課した憂鬱を、永遠に続く満ち足りた愛と恩恵のいやしの免罪符で覆い隠すだろうと。分かっていた…鏡の向こう側で崩れかけているのと同じくらい、その全く同じ側で、もう誰なのかも良く分からない男の、鏡に映った魂のない反射になっていたんだ。そして自らの妄想への心酔と、現実の区別が、もはやつかなくなっていた…

僕は分かっていたんだ。その根本的な真実を拒絶しようとしたのと同じくらい、自由に“なる”ために自らを解放しなければいけなかったことを。自由に“なる”ことに基づいた“振る舞い”をするために、まやかしの慰めや繋がれた幻想へと死ななければいけなかったことを。自由に“なる”という“振る舞い”を“事実”とするために、購われた僕自身に対して真実でいなければいけなかったことを。“分かち合う”ことを望むなら、許された自分をさらけ出す必要があったことを。そしてほとんどは、交流をするために、自分自身や他人を許さなければいけなかった。だから”Turn The Dirt Over”の始まりの言葉のように、それは僕にとって、窓枠の近くに行き、一瞬でも自由になって、外を見る時間だったんだ。ほんの一瞬見るだけかもしれない。でもそこで何を目撃しようとも、それは僕が通る必要のあった現実、かつての混乱した個人としての存在、公にされた目もくらむほどの偽物の人生の、暗い本質への閃光となっただろう。

——

この曲には、とても素直な言葉と音のトーンがあり、それが深く心と魂に触れ、とても純粋に感動させる。それは心の奥底にある秘密の場所に長いこと繋がれ、拒んで来た感情を紐解くくらい…痛々しい記憶や許すことの出来ない思い出が、心への秘密、魂へのよそ者として維持された禁じられた場所、忘れ去った感情、それが純粋で本物の感情の真新しい領域で予想外に生まれ、最も深く否定した感覚でさえも解放され、自由にされ、費やされた…過去の罪悪感、今現在の心の暖かさを感じる自分自身の否定と、時間という執念深い性質が、まるで長い間見捨てられて来た夢をしっかりと掴む感触を、ゆっくりと失っていくかのように、未来のいかなる赦免をも信じきれないという疑いとともに、本当の聖礼典の和解の中で、購われ、解き放たれた。まるで自己非難のストイシズムと自らに強いた宿命論のまやかしの影が、突然、シャッターを開け、開花する光を見ることへの招待によって、黄化したかのように。まるで、何となく、目に見えないものを認める準備ができていて、新たに花開く朝を満たす、その蛍光色のユニークなパレットを抱きしめ、自己意識のある精神的な死から立ち上がり、僕らの不誠実さと不信仰から不当に免除されたかのように。あらゆる面で不完全、けれど完全に清められていた。それ故、自由…

——

許し、購い、赦免、そして自由の概念は、人生の大半、様々な理由で、僕の考えを長く記憶に留め、僕の内省を吸収してきた瞑想と黙想だった。幼少時の頃のレイプを誰にも言わずに生き抜かなければいけなかったという影響はその中でも大きなもので、その後の僕の青年期を自己破壊的に生きたことも重要なことの一つだと思う。心の平穏を見つけた人々や、個人的な充実感に満たされて生きることができる人に、僕はいつも魅了されてきたんだ。父親の深刻なアルコールの問題と、感情的な安定を僕に与えようと必死になっていた母親の間で成長する中で、僕が尊敬できることはそんなになかった。安いアパートから、また安いアパートへと引っ越しを繰り返し、望めることもそんなになかった。苦しい沈黙が僕の友達に、宿命への怒りが僕の仲間になった。だから他の誰よりも宗教的な仮面舞踏会を誇示することによって、哀れみ深い安らぎを真似ようと、“愛”のいかさま師に会うためだけに、僕は見渡しながら、探しながら、そしてもっと見渡しながら、それを聞きたいと望みながら成長していったんだ。欺きは諦めへの第一歩、僕は究極的にその全てを見て、全てを聞いたと思った。僕は放棄し、諦めた。僕が何を探していようと、どうせそれを見つけることはないのだと受け入れながら。それが心の平穏を経験せず、いつも焦がれていた充足感に近づくことなく生きることの究極的結果だろうと思った。

僕の苦しみに与え得るものは何も見つからないだろうと思った。僕の持つ苦しみや内側で鮮やかに育っていた怒りから解放されることなんて。僕が成長するに従って、それも成長したんだ。自分の心と魂を土に返すために燃やしたいと望む時、時が止まったままになることを学んだ。だから僕はコントロールできないものをしぶしぶ受け入れることに決め、全てを心の奥深くに隠すことにし、そうすれば究極的には忘れられると-そうできたらと-思った。僕は自由じゃなかった、全く自由じゃなかった。かなり打ちのめされて、かろうじて生きていた…でもそれが人生だった。僕がいつも知っていた人生。途切れた。後に続く季節において、それは異なる人生と同様、数えきれないように見えた。それは僕がその後に生きたであろうものだった。僕がインターナショナルバンドへと自分を導くまで。それはとうの昔に自分自身を失った人間にとっての完璧なアリバイになったんだ。

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僕が覚えている限り、僕はいつも本を読んでいた。いつも手の中には本があった。僕はいつも言葉に、その様々な響きに、その鮮やかな色に、そのいくつもの香りに、そしてこの世界を再び定義する能力、それ故その歴史に、いつも魅了されて来たんだ。自分が今まで見たこともない場所に命を与える言葉の力や、自らが認めて生きることを、拒否し続けてきた感情を体感させる能力に魅力を感じていたのと同じくらいね。それは多分、自殺しそうな両親を見続け、家庭内暴力が当たり前だと思っていた子どもにとって、身を隠すために心の安全な場所をつくり出す完璧な方法だったんだ。言葉にはその能力があった。

僕にとって驚くべきことではない。だって僕の心と魂に触れたアーティストは全て、言葉(アルバムタイトル)や、感情的景色(アルバムアートワーク)そしてヴィジョン(曲)から始まったのだから。たとえ”Sea Wolf”をどうやって見つけたかあまり覚えていなくても、そのバンド名が僕の想像を捉えたことははっきりと覚えている。その名前は、僕がいつの時も好きな作家として挙げる、アメリカの社会運動家ジャック・ロンドンへと導いた。彼の最も有名な著書が”The Sea Wolf”なんだ。彼の”White Fang”や”The Call Of The Wild”が、僕の幼少期を飾った本というだけでなく、子どもの頃に僕が育った暴力的で無感覚な人生の中で、進み続けるために素晴らしいインスピレーションを与えてくれたんだよ。だから”Sea Wolf”という名前を見た時、すぐにそのアーティストがどういう音楽かを聴きたくなった。僕がそこで見つけたものはとても素晴らしいものだった。けれど僕が感じたことはかなり驚きだった。Alex Brown Church(Sea Wolfのソングライター)のスピリチュアルなテーマやイメージについての言及が、僕に何かを訴えかけていた…あれは2007年の10月、Sea Wolfのデビューアルバム”Leaves In The River”を初めて聴いた時だった。それはYour Favorite Enemiesと一緒にヨーロッパツアーから戻って来たのを同じ頃だった。その数週間後に、それまで何とか築き上げて来た僕の人生は、それ自身の幻想に崩れ、僕の心を壊したままにした。親愛なる一人の友人の裏切りで感情が荒み、ゆっくりと精神の苦痛が崩壊していったんだ。

Sea Wolfの”Black Dirt”と”The Cold, The Dark and The Silence”という曲が突然僕の青年期の無垢の消滅の賛美歌となったんだ。それは僕が自分の身を捧げることを意図することなく、直感的に“永遠”と言う、最後の時であっただろう。そうやって、何年も前に、僕は信仰を失うという悲しい悲劇を秘密裏に生き抜かなきゃいけなかったんだ。今回は、レイプされた後に、僕が身を浸した沈黙とは反対に、公衆の詮索の目へとさらけ出して生きなければいけなかった。途切れた。後に続く全ての季節と同じように。そしてまた、人生…いつも知っていたような。同じ本質、違うシナリオ。そこに現れたアーティストとしての僕は、自らがなることを嫌っていた男だった…

——

大勢の人の中で、全てにおいて宿命と責任に支配される中、僕は何とか、自らの絶望を生き抜いたんだ。他人の判断に高い代償を払い、自らの目に完全な敗北者として映るという自分に鞭打つようなヴィジョンの中で…生きるというよりもむしろ、存在していた…

明日が良くなるだなんて期待してなかった。知りたいという意志と見たいという欲求を失ったんだ。そして何となく、満ち足りた幸せを人格に表した、生きながら死んでいる魂として生きることの方がとても簡単に見えたんだ。僕は若くしてとても成功したアーティストだったが、その心は深く空虚で、驚くほど恵まれてはいたが、致命的に絶望していた。ある意味、僕は全く何も気にしていなかったんだ。僕の周りにいる人々のために、一度も書いたことのない話しに対して責められることを受け入れ、昔からの古い臆病の影に打ちのめされることを喜んで受け入れた。苦しむことを怖れていなかった。僕は死んでいた。そう思ってたから、何故わざわざ気にする必要があろうか。僕は疲れ果て、悲しみの中で世捨て人となっていた。その時は2009年の秋だった、というかそう信じていた。僕は本当に自分を見失っていて、もう2010年の春だということに気付かなかったんだ。でも、古いピエロのように、クローゼットにある衣装の埃をはらい、エンターテイメントとしてパフォーマンスをするために、僕は、僕の”使命”を続け、他人に“期待された”ことをし続けていた。困惑し、完全に頭が混乱して、深刻に体調を崩した。僕は、たとえ何人かが試したとしても、人々の手が届かない広大な場所の中で生きる、ぞっとするような亡霊だった。悲しくも、誰も僕の心に触れることはできなかった。

実際、まるで僕の人生には、心の救いを信じ続けるために輝く、たった一つの最後の果敢ない光しか持たないように思えた。ゆっくりと進んで行く自殺という乾きの中で唯一残された最後の輝く希望。色の見えない地平線を越えて、僕が色を想像するために、僕の絶望的な心と魂を優しく流れる、最後の柔らかで繊細なそよ風。その全てが皮肉にも、年老いた黒いラブラドールの”Shadow”によって、表されていたんだ。かなりボロボロでめちゃくちゃになった彼女の主人の世話をするという誓いを守り続ける忠実な仲間。僕はその犬が大好きだった。僕は彼女が5歳の時に引き取ったんだ。彼女は、他に対処すべき大きな問題を抱えていたか、それとも彼女の世話をするには、ほんの少しの愛情しかなかった家族によって、死にそうになっていたんだ。僕はいつも僕らの似通った存在のパラドックスが好きだった。僕が子どもの頃は、犬を飼えるだけの金銭的余裕がなく、また一つの場所に留まることもなかった。金銭的に難しく、感情的なトラブルを抱えた家族においての一人っ子というのは、なかなか簡単じゃない。僕はすぐに”Shadow”が大好きになった。僕の最も素晴らしい思い出は、彼女とともにある。その数年後、彼女は僕の腕の中で死んだ。彼女は最も残酷な形で死んだんだ…彼女は何時間も戦った。彼女を救うために僕が祈ったのと同じくらい、彼女は行かなければいけなかった。僕は彼女を手放さなければいけなかった。あれは2009年の遅い冬か、2010年の早い春だった。僕は2010年の秋に目覚めた。2010年の遅い冬か早い春、そして2010年の遅い秋の間に起きたことは、僕の記憶の中で完全に欠けている。まるで僕自身を水に沈めたかのように、僕は自分自身の世界の中に消え、現実から完全に遠ざかっていた。
途切れた。後に続く全ての季節と同じように。そしてまた、人生…もう既に知っていたような。長い間に忘れ去り、もはや探してもいなかったものを見つけるまで…

——

僕は目覚めた。まだ混乱していたけど、何となく不思議なくらい気がついたんだ。まるで目覚めた状態を突然意識したかのように。僕は今まで言われて来たように、あまり多く語らなかった。ある日、まるで前日の夜に家を出たかのように、僕はシンプルに皆と一緒に食卓に着いたんだ。それを当時の僕の自然な態度として見ることが、どれだけの驚きであるか、気付いてなかった。皆は僕がそこに座るのを何度も見ている。皆もそうするように、僕も自分の役目を果たしながら。でもその時の僕は以前と同じようには見えなかったと思う。僕の犬のShadowを失ってから、僕はあまり話していなかった。僕がまた再び声を発する日が来るのだろうかと考えた人もいただろう。あぁ、もちろんその大きな暗闇の時期でも僕は話していたさ。僕の役目であるチーフというピエロの義務としてね。でも本当には僕はあまり話していなかったんだ。何て言うか、話す意味のあることを話していなかった。僕はそこにいて、座っていた。一言も発せず。あれは7月にしては寒い日だったと思う。まぁ、そうでもないかな、だって実際は、9月の終わりくらいだったから…僕は目を覚まし、過ぎ去った夏がどんなだったか探し、僕の冬には何が残っているんだろうと考えていた。

僕はまた別の、繊細な手術を受けようとしていた。僕は幼少時代のほとんどを病院で過ごしたんだ。そして人生のほとんどを、弱い免疫システムとともに戦ってきた。だから、また別の手術だと思ったんだ。取り除かれるべき癌性腫瘍があったことすら覚えていなかった。数ヶ月前に診断を受け取った時、多分僕は自然的原因で死ぬというアイディアが嬉しすぎたんだ。手術の1年前に受け取っていたはずのニュース、腫瘍のことなんて明らかにどうでも良かった。僕はまばたきもしなかった。「どうでもいい」と、そう思った。「永遠に死んでいる人間を殺せやしない」と、僕は心の中で笑った。「もしも僕が」と、囁いた。まぁ、明らかにそうじゃなかったけど。特に9月の寒い朝にはね。僕は生きていた。何となく、のどかに。穏やかではなく、のどかだったんだ。まるで安心したかのように、手術を受けることに対してではなく、僕の健康に関してでもなく、文字通り死ぬかもしれないという概念にではなく、そうじゃなくて、ただ安心したんだ。まるでそれが僕への目覚めだったかのように。まるでたった一度でも、筋が通ったかのように。何て言うか、僕は人生で初めて、辛くなかったんだ。怒りを抱いていなかった。空っぽじゃなかった。僕は…シンプルに、僕だった。失ったものと、奪われたもので心が壊れた状態を数年生きた後、まるで実際に露出した状態が、生涯繋がれて来たものによる悲劇ではなく、獲得であったかのように。虐待された僕の無垢な子ども時代、平和を見つけるという望み、僕の彼女のずる賢さ、僕の親友の裏切り、僕のキャリアへの野望、僕の愛する犬の死、僕の脆弱な健康、僕の未来など色々…全てがなくなった…解放されたんだ…自由に。全てを失うという穏やかさから、手放すことへの購いへ。僕の人生で初めて、理解不足や説明不足に対して深く穏やかであり、自由になったと感じた。そのように振る舞う準備をした。自由であるという振る舞いを喜んで事実にした。自分自身や他人を許すことで、分かち合い、交わりたいと強く望んだ。自由。外科医が、腫瘍を取り除くために全身麻酔をすることについて不安があるかと尋ねた時、僕はシンプルに微笑んで、穏やかに言った:「もう何も心配してないよ。準備は出来てる」外科医は麻酔医を振り返り、こう言った:「こんなに穏やかな人を見たことがない」…その後、僕は再び眠りに落ちた。再び、眠っていた。時間が停止していた。途切れ。後に続く全ての季節のように。また、人生…既に知ってたような。でも何となく、かつての僕とは全く異なった満ち足りた感覚だった。自由。

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僕らのうちの数人にとって、”Vague Souvenir”は、過去から現れた古い亡霊として生まれた。数年に渡るわびしさの後、2011年はその約束を守った。誰ももう本当には信じていなかった、昔と同じ古い約束。でもこれらの本当の約束が、その恵みを紐解いて、僕らが一緒に過ごした時間が、あらゆる視点で、素晴らしい祝福になったんだ。過去の影を持って来るというアイディアは、僕のバンド仲間やチームの仲間たちが真に考えていたものではなかった。「何で振り返るんだ」と数人が言った。「死体は死体のまま埋めておいて、先へ進もう」と誰かが付け加えた。「僕たちはロックバンドだ、アレックス。僕たちはずっとそこにいた。もう過去を忘れよう。自由になれよ…過去は穏やかに休められるべきだ」などなど…最も大きな声は、人々を沈黙させたままだった。明らかに心配していた。バンドのためと言うよりも、僕のため、僕の心と魂のため、そのことについて話しにくい人間として、再び僕を失うというアイディアのために。あの時から、ここ数年そのことについては僕らの間ではタブーだったんだ。そして僕は知っていた。皆が僕を心配していることを。僕を支えるためにしてきた犠牲を知っていた。バンドとかキャリアとかとは全く関係ないと知っていた。僕らは永遠に思えるような時間、一緒にいたんだ。何も言わなくても会話ができ、言葉で告白しなくても話し方を知っていた。でもその心配が僕や、僕の心と魂についてであるのと同じように、彼らは再び僕が悲しみに沈んでいくのを見ることを怖れていたんだ。僕は分かっていた。もしそれが僕についてで、僕のためで、僕の心と魂のためであるならば、このプロジェクトが光を浴びるのを見たいと、僕自身が深く望んでいると分かっていたんだ。このような親密で個人的なプロジェクトを、形にしたかった。自由になるために。振る舞うために。それを事実とするために。それを分かち合うために。交流をするために。自由を生むために。そして、そうするために、僕はライブでのレコーディングセッションを想像していたんだ。不完全…でも本物で正直…最近の音楽的クローンを定義する人工的な要素を全て脱ぎ捨てて。それは行われる必要があった。行う必要があると、僕は本当に信じていた。

こういうタブーを破るのは簡単じゃない。でも何となく、他のバンドメンバーやチームのパートナーたちに、”Vague Souvenir”が適切であり、正当であることを説明することができたんだ。それは過去とともに平和を作ることではなかった。僕は自分の過去に対して平和になることはないかもしれない。それは許すことや許されることについてではなかった。真に許し、許されることの深い側面を理解することはできないかもしれない。それは酷い感情を、至福に変えるために訪れることについてではなかった。僕は恐ろしさから自由になることはないかもしれない。それは自由でいるよりもむしろ、宿命的に存在しているだけのサイクルを壊すことについてではなかった。僕は自由の真の性質を一生知ることはないかもしれない。それは、分かち合いについてだった。親交についてだった。理にかなうはずのことについてではなかった。僕にとっては。それは、長い間で初めて、自分自身を与えるという意図の測りなしに、直感的に「永遠」と声に出すことだった。それは瞬間を生きることについてだった。

——

僕らは今、”Vague Souvenir”の公式リリースの数ヶ月後である、2012年の9月末にいる。僕らのうちの数名にとっては、夜の終わりへの感情的な旅であり、他の人にとっては、夜明けの色を更に越えたものだ…

僕は徐々に、来年リリースされる次回のアルバムプロジェクトの制作に向けての感情的準備をしている。でもその前に、”Vague Souvenir”で選んだ曲の理由や、曲の裏にある物語、内省や語られないストーリーなどについて書く、特別なブログプロジェクト”From A Spark To A Song”への参加を尋ねられたんだ。最初はやりたくなかった。曲は僕らそれぞれの間の交流の一部であると信じていたから。でも曲について書くという招待を最終的に受け入れたのは、そこにどんなルールも、ガイドラインも、制限もなかったから。”Turn The Dirt Over”でそうしたように、僕自身の言葉を分かち合う自由があったから。証拠も何もない、はっきりした結合性もない、支離滅裂なストーリー。というのも、僕がこの曲をやろうと本当に決めたものは、言葉や音、その両方に与える香り、僕に与えたヴィジョン、そして目に見えないものに僕を触れさせた、その親密な関わりや意図なんだ…その親密さを分かち合いたかった。

心の奥深くから開花した、”Turn The Dirt Over”の感情のように、そのソウルフルな性質は、僕の人生の決定的瞬間の一つを表しているんだ。“窓枠の近くへと行く”ための招待だよ。2010年の遅い冬か早い春と、2010年の遅い秋に起きた僕の崩壊の暗い時期から、まるで僕が覚えているものが唯一1つであるかのように、かろうじて、でもまだそこにある、それが何度か聴いたSea Wolfのアルバム”White Water, White Bloom”なんだ。そこに”Turn The Dirt Over”が入っている…

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時間が足早に過ぎて行くように、思い出は最高の著者だ。それは僕らの親密な世界や個人的な歴史を再び書いて、僕らの記憶の響きを変え、良く知る色に異なる色合いを与え、馴染みのある匂いの香水を再び定義し、家だと思っていた場所のヴィジョンを修正し、僕らの異なる感動の感覚を整える能力を持ってる…だからこそ、もし僕がこのブログを読み返したら、全く意味の通らない箇所を見つけるかもしれないって分かってるんだ。日付が全くごちゃごちゃになってたり、ストーリーもひっくり返ってたり、言葉もねじれていたりするかもしれない。でも結局、本当に残るものは、言葉じゃないんだ。言葉は、物語が与える最も大切なものにはならないって知ったから。違うんだ。この言葉に残されるものは、そうなること、振る舞うこと、事実とすること、分かち合うこと、そして交流することの自由なんだ。僕らが“雪の上の月明かりを見るために、シャッターを開ける”ように。暗闇の中で僕らの灯火の影を見るように。瞬間。途切れ。その後の季節が続いていくように。そしてまた、人生…常に知っているような。あらゆる意味で不完全、けれども愛によって幾分購われた。それゆえ、自由。


“私は埃になるよりも、灰になる!
私の火花が腐敗によって抑えられるよりも、
鮮やかな炎によって焼き尽くされる方が良い。
私は眠たげな永遠の惑星よりも、見事な流星、
壮大な輝きの中で僕の原子全てになる。
人間の機能は生きることであり、存在することではない。
日々を引き延ばそうとしながら、無駄に過ごすことなどしない。
私は自分の時間を使う。”*
−ジャック・ロンドン

* ジャック・ロンドンの学者や伝記作家の中には、最後の引用が実際にロンドン自身のものであるという真実性に賛成しない者もいる。でも言葉が彼の人生の生き方を映し出していることから、僕は全ての言葉が関連したものであると信じるよ。この言葉を書いたり、言ったりした人が誰であろうとね。

Comments (17)

  • Yukiko

    |

    何かを解放することは、それまでの全てを隠したり、排除したり、忘れることではないんだよね…。
    それは、閉じ込めることで、解放とは逆のベクトル。
    自分自身に気づいて…その正邪関係なく、全ての感情を受け入れて…目を開けることだと思う。
    でも、言葉にするのは簡単だけど…それを本当の意味で、自分に溶かすのが難しいのだと思うの。
    写真で見て、目的地の景色は知っているけれど…そんな感じ…。

    理性的な計算でも、打算でもなく…無意識、意識に関係なく、自分の中のどの場所においても、その心の全てで経験し、実感しなければ、真実の自分には繋がらない。

    光をとても愛しく思いながら…であるが故に、疎ましく思える時もあった。なぜなら、それは自分の影の輪郭をはっきりと浮かび上がらせるから…それを見るのは、希望よりも恐怖でしかなかった。

    正直、私は、まだ自分の存在を赦せない時がある。
    あまりにも、影を見ていた時間が長すぎて…心は二分されてしまっているから。

    …私の心にいる、小さな救われない寂しい子どもを、一生抱えながら…生きなければいけないのかもしれない。
    それならそれで、私はその現実を受け入れなければいけないことも、良く分かっている。…そして、本当の望みすら超えて…その先に進まなければならないのかもしれない。
    …だから、光の向こう側に行きたいと願うのかも…。

    存在を、純粋に赦され、受け入れられ、祝福されたのは、多分生まれた時くらいなのかもしれない…と感じることがある。
    必要とされているのは私ではなく、理想のフィルムでラッピングされたワタシ。何処の市場に出しても、恥ずかしくない立派なワタシ。
    …少なくとも、今、ここにいる私ではないことは、時々伝わってくる。

    私に穿たれる杭は、僅かに瞬く空を見ようとする私の目に、諦めと軽蔑と、戒めを打ち込みにやってくる。そこから上には行けないよ…と、確認するかのように…。
    …それは、たったひとつの言葉や、何気ない溜め息と視線。
    そしてそれは、心の方向を変え、閉じ込め…やがて、小さな水滴が幾度となく岩に落ちていくように、深い深い穴を開けてしまう。

    初めは望んでいた訳ではなかったはずなのに、いつしか、あらゆるものを色褪せて見せ、やがて、ぬるく仄暗い空虚へと、自ら歩いてしまう。
    下を向いていると、見えるのは影だけ…。だから、顔をあげても、見えるのは虚無の目だけかもしれないと思うと、たったそれだけのことが、果てしなく怖い作業になる。

    …赦しは在るようでいて…でも、本当には、誰も、何もないと知ってしまった恐怖と絶望だけが、唯一、私に寄り添い…そして、甘く囁く声だった。
    皮肉にも、どんなものよりも、それらだけは私を裏切らなかった。それだけが、常に側に在るものだった。

    自分の存在は、いつだって悲しみと落胆を生むだけで…価値のないものならば要らないと…自分で、自分をゆっくり殺していく。
    …でも、痛みすら麻痺してしまった心は、これが心という存在の死だとは、思ってなかった。
    だって、孤独はまるで自由を象っていたから。

    自分の心を死にかけさせた…尊厳も、希望も何もなかった。自分には価値も幸せも、永遠に来ないと思い…でも、それでもいいと思った。
    他の存在に見合う価値は持っていない身で、誰かの心に関わるのは、大罪に思えた。沈黙と孤独だけが、唯一の味方だった。
    そして、自分自身の鎮魂のためだけの、僅かな呼吸の音だけが響く墓所へと、沈むことを選んだ…。
    そして、そこにいることは、ある種の贖罪でもあった。

    矛盾するけど…生きたいからこそ、死ぬこともある…のだと思う。

    どうにかして、どんな形や結末を迎えるとしても、心を生き残らせようと、ただもがく。
    それは、命在るものの無くせない本能だもの…。
    苦しいと感じるのは、生きたいと願っているから。どんなに隠しても、心が求めているから。

    それでも…私は私の心を生きていたい…。

    Alex & all guys …
    Thank you for sharing your true heart.
    I wish that your hope grows up into the future…

    Yukiko

    Reply

    • Momoka

      |

      ゆきこさんのコメントを何度も何度も読みました。ものすごく考えました。私はゆきこさんの生きて来た環境や状況や、体験してきたことを知りません。でも、自分の存在を、自分自身を、生きたいと思うことを、罪として考えることから、自由になって欲しいと心から願います。
      もちろん、自分自身を長い間覆っていた闇から自由になって、光を見ても、疎ましく思わないようになるには、きっと時間がかかるでしょう…でも、“生きたい”と願っているその心を、大切にしてあげて下さい。隠す必要はありません…だって、みんな同じですから。
      “受け入れること”は大事ですが、諦めることはしないで下さい。私はゆきこさんに、これからいっぱい色んな感情を生きて欲しいなって思いました。笑って、泣いて、怒って、傷ついて…思い切り人生を生きて欲しいと思います!!
      ゆきこさんのこれからの人生を、私含め、YFEは見守って、というか、YFEのクレイジーな人生に巻き込んでいきたいと思います!!!笑

      これだけは言わせて下さい…ゆきこさんには、生きる価値があり、笑って過ごす価値があります!!ゆきこさんの儚さや弱さは尊いもので、そこにこそ希望があると思います!!!
      ゆきこさん自身の心を、生きて下さい!!^^

      Reply

  • Akiko

    |

    アレックスのブログは詩的だし、難しい部分も多くてしかも長い。
    だから何度も何度も読み返して…コメントもずっと考えてました。

    でも、私もそんな風に書くブログを持っているから、気持ちが分かります。
    自分を包み隠さずに出す事って、凄い勇気がいる事だし、生々しく過去を書いてると、”その日”に戻ったりするから、そういうブログを書くって精神力を削るんですよね。でも、”同じ苦痛の記憶”でもその時々の自分の感じ方や生き方で、捉え方がどんどん変化するんですよね…。

    私はそれを自分で確認するかの様に書く事もあります。

    記憶は消せないけど、作って行く事は可能なんですよね。
    だからこそ、日々を大切にしなきゃ…何てふと思います。

    どんな苦痛も喜びも、人それぞれ感じ方は違うし…
    私も苦労した方だとは思うし…未だに続いてる部分もあるけど…
    でも、前向きに生きたいし、私なりの自由を手に入れる為に進んで行きたいと思います。

    そんな風な考えになったのは、アレックスやモモちゃんと深い話をしたり、こうしてブログを読んだり、YFEの発信する深いメッセージやインタビューなどを見て、自分と向き合う事の大切さを教えて貰ったからだと本当に思います。

    いつも心から大きな感謝の気持ちでいっぱいです。
    本当にありがとう。

    アレックスのブログは私の教科書なものです。
    まだまだ、何度も読み返そうと思います。

    Reply

    • Momoka

      |

      コメントを書いてくれてありがとう!
      “記憶は消せないけど、作っていくことは可能”…それは誰もが知っている事実であり、また多くの人が忘れてしまっていることだと思います。希望は未来にある…そしてその未来を作っていくのは、まぎれもない自分自身であり、日々の自分の選択によるんですよね…時々私も迷ってしまうけど、自分自身と本当の意味で向き合うための強さ、そしてそれを実際に行うことの勇気を、私は多くの人を通してみることができ、刺激を受けています。言うまでもなく、あなたはそのうちの一人です!!!
      希望は私達自身の中にある…前向きに生きたいという言葉を聞くことは、自分も暗闇にいて、その苦悩や辛さを知っているアレックスにとって、とても嬉しいことだと思います!!

      Reply

  • Tatsuyoshi Shirai

    |

    何度も書き直してやっとコメントする事が出来ます。
    アレックスの言葉は私に言い聞かせられてる気がして、とても一言では言い表せなかったからです、
    ここにコメントして下さってる皆さんもまた苦労しているのですね・・・。
    私の過去を書いても仕方ないのですが、苦労なら負けていません(笑)
    幼い頃に私の心は殺され仮面を被って生きてきた様なものですから、
    ある日を境に太陽から月へと変わってしまったのです。
    でもmyspaceでアレックスと知り合いYFEのファミリーとして迎え入れられやっと自分のほんとの心を取り戻しつつあります。
    明るく誰とでも仲良くできたあの頃の心へ。
    この場を借りてアレックスにお礼が言いたいです、ほんとにありがとう!

    Reply

    • Momoka

      |

      このブログを読んで、更にTatsuyoshiさんや、他の方々のコメントを読んでいて、いかに心を取り戻すことが難しいことかを思い知らされています。
      そしていかに多くの人が、生き延びるために仮面を被らなければいけないかも…仮面を外すのを怖れると同時に、仮面の下のありのままの自分を受け入れて欲しいと、私を含め、多くの人が願っていると思います。Tatsuyoshiさんが自分の本当の心を取り戻しつつあるということ、とても嬉しく思います。その変化はまさにアレックスにとって、YFEにとって、お金では買うことのできないとても大切な宝物です。Tatsuyoshiさんが本当の心、ありのままの自分を、恐れなくして、自由にさらけ出せる日が来ることを、心から願っています。コメントして下さって、どうもありがとうございました。

      Reply

  • moschikin

    |

    僕の絵が彼の目にとまった訳が解った気がする。
    「ロスト・ピース」を
    取り戻そうと僕らは創作し続けるんだろう。

    Reply

    • Momoka

      |

      創作って、究極的には自分との対話だと思います。自分と向き合うこと。
      自分の心と向き合うこと。それによって出来上がった作品もまた、自分自身の魂の化身なんだろうなと、思っています。
      だからこそ特に惹かれるアートがある…無意識のうちに魂が共鳴しているのかもしれませんね。

      Reply

  • Tsugumi

    |

    人間味に溢れている。だからAlexが語っている言葉(心)が私達の心に響くだなぁ〜と思いました。”生きているから…生きているからこそ…” この先の言葉は書きません。
    PS. 意味不明な終わり方ですみません…

    Reply

    • Momoka

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      Tsugumiさん、コメントありがとうございます!多くを経験して、多くの感情を味わって来たアレックスだからこそ、その言葉に重みと、真実性があるのだと思います…「人生」、「生き方」について考えさせられました…

      PS:いえいえ!つぐみさんがこのブログを読んで深く何かを感じたんだなって伝わって来ました!!^^

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  • Momoka

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    コメントを書いては消して、書いては消してを繰り返しています…何か言いたい、このとても個人的なブログを読んで私が感じたことを分かち合いたいと思ってるんだけど、何て書いたらいいのか、どう言ったらいいのか、正直分かりません…私はただ、嬉しくて、感謝をしています。アレックスがこういう風に話していることが、安全ネットなしにさらけ出していることが、自由になって、分かち合って、交流しようとしていることが、シンプルに嬉しいです。

    私はずっと、あなたは幸せになるべきだと言ってきました。その価値があるのだと。マイスペースで出会い、ブログやビデオなどを見るうちに…私は、何でこの人はこんなにも絶望を抱えているのだろうか…人は皆平等で、愛される価値があるのだと言いながら…自分自身こそ、心が空っぽじゃないかと、思っていたのです。みんなのために温かい言葉をかけ、みんなを励まし、みんなを勇気づける…それはいつの時も、自分のためではなく、人のため、みんなのためでした。でもこのブログを読んで、何となくこのブログは、あなたが自分自身のために書いたものだと感じたのです。あなたがただ分かち合うため…シンプルに心を分かち合うために…

    あなたがこれから先何を見て、何を感じて、何を生きるのかは分からない。でも、このブログで見られるように、あなたはもう光へと歩き出してる。その光はいつも完璧に明るくて穏やかなものじゃないかもしれない…でもそれは本物であり、それをあなたは、ありのままの自分で生きる。不完全だけど、本物…それ故、自由。
    あなたにとって、そして私にとって、そして世界中にいるYFEファミリーにとって、この先何が待っているのかを見るのがとても楽しみです!

    改めて、あなたの心の最も秘密の場所を、こうして分かち合ってくれて、どうもありがとう。

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  • RIE

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    “You deserve the best”….これは何年か前に私の大切な友達が言ってくれた言葉です。 日本語に訳すと、「君はベストに値する」とか「あなたは最高のものにふさわしい」という感じでしょうか。

    この言葉の意味について、よく考えます。
    私は幼少の頃から母親に虐待を通り越し拷問とも呼べる責め苦を受け続けてきましたから、いつの間にか、「私は最低で最悪。何もできない。生きていく権利も、幸せになる資格もない」という刷り込み、思い込みでがんじがらめになっていました。だから、友達にこう言われても、全く理解できなかったんです。

    でも、考えている内に、「きっと、血の滲むような努力をしてきたからとか、自分を差し置いてでも人に親切にしたから、ベストに値するというわけじゃないんだ。私たちは皆、こうやって呼吸をして、生きている。例え、それがどんな状況で、どんな環境の中であっても・・それ自体が、私たちの存在自体が、最高のものにふさわしいんだ」と気づいたんです。

    そうすると、今、ここにこうやって生きている。毎日寝て、食べて、働いて、楽しんで・・生きている。そんな毎日、そんな一瞬一瞬に対して、感謝の気持ちが湧いてきたんです。

    そしてそうすると、あれだけ憎んでいた母親に対しても、許せなかった肉親に対しても、感謝の気持ちが湧いてくるようになったのです。彼らがいたから、私は生まれてこれた。彼らがいたから、私はここまで生きてこれた。。

    それでもまだまだ、過去の虐待による体の痛み、心の痛みは、つい昨日のことの様に蘇ってくることがあります。”Vague Souvenir”を聞くと、その過去のエネルギーと波長が合い、そこに引き戻される様に感じます。でも、私はもう母親も肉親も恨んではいません。怒りと恐怖に、いつまでもコントロールされているのは嫌だと思ったので、彼らを引っくるめた過去に、光と感謝を当て、浄化し、解放してしまおうと思います。このアルバムの曲は、それを助けてくれます。

    そして過去は、もう「終わったこと」であり、「絶対に変えることのできないもの」だと思っていました。でも、解放が進むにつれ、そうではないことに気がついたのです。つまり、「今」が幸せなら、「過去」も・・少なくとも、「過去への見方」も・・変わるのだとわかったのです。

    私を「犠牲者」にしていたのは、母親でも肉親でもなく、またその他の環境でもなく、自分自身だった。もっと言えば、自分の世界の見方だったのだとわかったのです。

    だから、「今」私が見ている世界が、私にとってふさわしいものでないなら、それは私が私自身をその程度だと思っているから・・なんだと。

    アレックス、ここであなたの過去を・・きっと思い出すのさえも辛い過去を・・シェアしてくれて、ありがとう。あなたの勇気に感動したと同時に、ありのままの私で生きていっていいんだという確信を得ることができました。

    私たちは、決して「その程度」の人間ではないのだと・・一人一人が別の輝きを持った光としての存在なのだと・・改めて思い出すことができました。

    私は、アレックス、YFE、スタッフの皆さん、そしてここに集うファミリーに、心から感謝したいと思います。本当にどうもありがとう!

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    • Momoka

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      Rieさんのコメントにとても共感しました。YFEファミリーの皆は、“You deserve the best”という言葉を良く言ってくれます。
      そして私も同じように、それを何となく否定していました。“何故私が?何もしていないのに?私よりも頑張っている人はいっぱいいるし、私よりも幸せになるべき人はいっぱいいるのに”と…ちょっと怒り気味に、“私の何を知って、私が最高に値すると言ってるわけ?”とまで思うこともありました。どうしてもそれを素直に、プラスに受け取ることが難しく、何故か自分で自分が幸せになることを許せなかったのです。
      今ようやく、一人一人が別の輝きを持った光としての存在であり、その存在自体が最高に値するということを、理解しつつあります。過去を浄化して解放するという行為は、不思議です…忘れるでもなく、記憶に蓋をするわけでもなく、否定するわけでもなく、ただ受け止めて、感謝をする…そしてそこから自由になる…それは全く簡単なことではありませんが、多くの人がそうでありたいと、そう出来たらと思っていると思います。こうしてRieさんが、ここで分かち合ってくれることによって、多くの人がインスピレーションを受け、過去の暗闇を浄化し、解放することへの、一歩を踏み出せると思います。ありのままをシェアして下さって、どうもありがとうございました。

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  • Mitsue

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    壮大な輝きの中のなかで、僕の原子全てになる。って、素敵ですね。
    正直で、真摯な、告白とメッセージ?自白?と、感性を、ありがとうございます。なんとなく、安心しました。そして、尊敬しています。あなたの、手術前の前室でのビデオは、今も、私のiPhoneに、入っています。パソコンを写した物ですが(笑)。その位、チャーミングで、穏やかで、cuteに、見えました。このブログに、書かれていた手術は、また、別の手術の事かもしれないけれど。あのビデオの時のあなたも、とても手術前の緊張しているはずの人物には、見えませんでした。私達に気を使っていたのかもしれませんが、このブログに、見える様に、その位の苦悩?とか、複雑な奥深い想い以上の深いモノがあったんですね。
    今後も、健康に気を付けて、さらなる発展、御活躍を、期待しています。

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    • Momoka

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      コメントをありがとうございます。
      幼少の頃から苦しみや辛さの影が近くにあった彼にとって、死が一瞬でも解放を意味したのかもしれません。
      でも実際には生きていた…だからこその”目覚め”…そして目覚めたことによる、自由…ありのままの自分でいること…
      そのビデオにはきっと、純粋に、素直に全てを受け入れた、ありのままのアレックスが映っているのかもしれませんね。
      いつもそこにいて、支えて下さって、受け止めて下さってどうも有り難うございます。

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  • Kaworu

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    Good grief!

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    • Momoka

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      Yes, it can seem hard to believe… I can understand what you mean…
      However, this is the reality of someone’s life… and I think he’s not the only one living like this, actually… this is his life but at the same time he’s representing a lot of people’s lives…
      I think it is courageous of him to open up the way he does, and at the same time, I know it will inspire many people, with similar lives or not, to find their freedom as well… because it did for me, too…

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