From A Spark To A Song – Firstborn
アルバム”Vague Souvenir”を決定づける感情全てにおいて、 “Firstborn”という曲から湧き上がったものは、個人的に十分味わい、深く体現し、公に決め込むことが最も難しく、痛々しいものだった。言葉と音色が、否定することのできない真実を自ら明らかにしている。どれだけ心の奥深くに最も個人的で親密な苦痛や悲しみを埋めていたとしても、彷徨う闇の最も暗い影でさえ、その絶望的な心や嘆きの魂を、慈悲と恩恵を求める誠実な囁きによる購いの光から覆うことはできなかっただろう。”Mightiest Of Guns”が”Vague Souvenir”に見る正直さであるのと同じように、”Firstborn”はアルバムの旅のテーマであろう赦しの、魂に満ちた本質なんだ…
これは別に秘密じゃない。特に神秘的な言葉を紡いだりすることへの愛情や、礼拝的な象徴を使う僕の癖に馴染んでいるならね。僕はいつも魅了されてきたんだ。個人の信念に知らぬうちに影響している信仰への測りや、慈悲、購い、許し、救いなどという高潔さを定義する概念的教義のスピリチュアルな信念に…僕が子どもの頃から探っている深い問いへの旅にある全ての要素だ。僕の歌詞の一部や、詩として埋められた欠片は、そこからインスピレーションを受け、それを反映し、それについて言及している(ファイナルファンタジーのテーマソンングである”The Messenger”の歌詞のようにね…これは比喩的に、過ぎ越しの祭りについてなんだ)。僕が、プレハブのような偽物の、歌う説教師のような、個性のない宗教的スーパースターっていうタイプのアーティストを、常に軽蔑していたのと同じくらい、Josh Tillmanの言葉は、僕の心と魂を真にリフレッシュするものとして現れた。精神性を映し出すものに対する彼の個人的な視点が、僕の心に深く触れ、感動させたんだ。あれは、僕らの似通った宗教的家族背景のせいだろうか、それとも、自由の神話的体現を着飾ろうと努力するよりも、真の自由について物思いに耽り黙想するという、僕にとって馴染み深いトーンのせいだろうか?それが何であろうと、僕は自分の見せかけの領域から来る感情へと、注意を向けることを強いられた気がしたんだ…
だから、曲に見える感情の比喩をもっと理解できていたであろう、そして僕が曲を自分のものにしようと決めた時に一つ一つの言葉が持つ購いの性質が、僕の心に何となく馴染んだ”Mightiest Of Guns”とは反対に、”Firstborn”は、最も期待していなかった形で、その購いの本質を明らかにしたんだ。数年前、”Vague Souvenir”と呼ばれる親密なプロジェクトの創作のために色々と考えていた時、僕はあまり目立たない控えめなビデオを見た。それは”Firstborn”の曲になぞらえた映像だった…そのビデオを見た時は、僕がまだ歌詞や音楽的視点を持ってこの曲を聴く前だった。そして何となく、その映像や、言葉や、音色が、本当に僕の心に深く響いたんだ。購いの言葉と解放の音を聴いたのと同じくらい、僕は信仰と希望のイメージを見た…それは、心から復活を遂げた者として、真に生きていることの意味を十分に抱きしめるために、慰めという安全な錯覚を、時には本当に捨てなければいけないのだということを思い出させてくれた…そうして僕らは本当に生きることができる。生きているフリをするのではなく。幸せなフリをする窮屈な衣装を身にまとうこともなく…それは僕が年月を追うごとに、悲しくも着飾ることを学んだものだった。それは僕を兄弟と呼び、すぐ隣にいた敵から自分の身を守るはずのものだったんだ。でも疲れ果てた僕には、もうその衣装は合わなかった。そして更に哀れな自己欺瞞の慰めという諦めた人間としての衣装も、もう合わなかった。そういう自分が唯一自覚していた目的は、内側にある絶望を、僕の夢の隠れた、儚い状態…僕自身の、最も執念深い敵に変えることだった。
純粋に修辞的な見方において、僕らが見せかけるべき時や、自由を化身するという息苦しい見栄で自分自身の心と魂を出し抜こうとする時、“現実よりマシ”という安っぽい無意味で哀れなタイプの感情の策略で、意識という、より物事が見えているものを騙そうとしている時、僕らがどれだけ下手な感情の手品師になれるかを見ることに、いつもかなり驚くんだ。僕らが恐れと疑いで完璧に包んだ嘘のほんの些細なことでも、自らの正しさを訴える究極の一人芝居の精神的コメディアデラルテの中で、そして聖書的真実の誓いであるようにフィットさせた絶対的化身を、まるで本当に信じているかのように、真剣にフリをする。僕が出来る限り努力して、そして神も僕が努力したことを知っていても、僕は最も鮮やかに構成された幻想も、僕の惨めさを映し出すために残りの人生を笑って過ごす能力も、信じることができなかった。僕は今まで一度も“黙って耐えれば、いつか終わる”っていうタイプの幸福の仮面舞踏会を信じたことはないんだ。その時はまさにそうやって生きていたけどね。まるで諦めが、日々向き合わなければならないどんな欺きよりもマシで、もし幸せなフリをしていたら、1日の終わりには僕の悲しみに満ちた魂がいつか満たされるかのように。僕はあらゆる点で、間違っていた…間違っていて、哀れだった。苦悩が、痛みや慰め、その偽物さえ避けるための頑固さを満たすかもしれないという考えは、当時僕が知っていた何よりもマシだった。後悔と呼ばれる以前に、僕の夢の残りを殺したかもしれない不誠実な仲間に、僕の儚い心をオープンにさらけ出すよりも、僕自身の絶望を隠したんだ。生き続けるために、痛みを避けていた。その時は、そう思っていたんだ。そう、僕は間違っていて、哀れだった…
驚くべきことに、そんな感情的欺きを身にまといながら、生き延びるためにどれだけしっかりと地に足を付けていたかということに気付くのに、しばらくかかった。全ての幻想と錯覚、僕らがとても軽く、そして優美に着飾ることを学んだものでさえ、僕ら自身の心の本質を殺しているだけでなく、僕らのユニークな感覚の純粋な真実性をも、次々ゆっくりと奪っているんだ…僕らを色盲で不信仰にしたまま。後悔は復活を信じる能力を殺すかもしれないけど、影として生きることを受け入れることは、僕らの最も大切な贈り物、新たな夜明けへの希望を自ら過ちとして咎めることだ。朝の最も小さな輝きから自らを遠ざけなければならない理由が何であろうと、希望なしでは、僕らは自らの妄想の二進数でツートンカラーの人生を描いている、感覚のない詐欺師だ。僕らの偽の色の正当性を誰もが信じるように額に入れてでっち上げ、僕らが知る、詐欺的エッセンス、つまり僕ら自身のネオンの偽の光輪を、互いに確認することを装うために、他人の影を意識的に認めるフリをする。たとえ心の奥底では、冷たい人工的な光が、日の光の下で生きるという真に暖かい解放的性質へと変わり得ると知っていたとしても。そして、僕らがどれだけ本質的に繋がっていて、自らを明るいタイプの地獄に仕立てようとしているかに気付いたのは、その偽の光を浴び、“声に出さない”祈りの日々を数年過ごした後だった。それを望み、それによって生き、そして死ぬ、過越の誓約のない季節に、自ら生んだ初子。信仰なく乾いていた、まるで希望それ自体が、信仰なしでは何の意味も持たないかのように…空虚な約束や希望的考えの欠片以外の何物でもないように。生きる意志のない自由、詩的に言うところの“生きながら死ぬことの最も惨めな捕虜”…まるで、自らの魂のない人格に捕えられることが、性格的に不完全なまま公に晒され生きることを受け入れるよりもマシだったように。まるで自由というコンセプトが、明るい色の惨めさを身にまとい、それを虹と呼ぶことかのように。天国と呼ぼうが、地獄と呼ぼうが、僕には自由に見える限り、そう思っていたんだ。壮大なスタイルでの明るい地獄…全てにおいて捕われの身…それでもなお、あらゆる意味で、死だった…
そして、予想外にも、その追憶の古い思考を、疑いの思い出を、恐れに満ちた考えの種を見たのが、Bla Bla Bla:ライブショーのセットだった…それらは感情的目覚めの閃きへと開花したんだ…希望、そして信仰へと。その種がとても鮮やかにリアルだったから、たとえ僕がその種を完璧に僕の秘密の部屋の中に隠して、自らに課した感情の傷で僕の心を覆うことによって、その種の癒しのエッセンスを否定し続けたとしても、僕の感情的錯覚や無感動の幻想は、その購いの性質が勢い良く成長し、開花するのを妨げることはできなかっただろう。慈悲の光とまばゆい救いの実を結ぶ…希望と信仰。それが後に解放のプロジェクト”Vague Souvenir”を生んだんだ…”Firstborn”の紹介として僕がかろうじて囁いた最初の言葉によってその本質がゆっくりと明らかにされた、親密なプロジェクト…身を任せ、自由になった男の自発的告白…不完全なまま、さらけ出した。けれどこれからは、許された、自由な身だ…
これはFirstbornという曲。
僕がしてきた全ての間違いを犯す前、
僕が子どもの頃に父親に歌って欲しかった曲。
そうすれば、もう少し良い人間になれたかもしれない…
自由になることがどういうことか、味わえていたかもしれない…”
Comments (14)
RIE
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この曲、最初にアレックスからの曲の紹介が聞けますよね。それを聞いた瞬間、「やばい」と思いました。このアルバムすべての曲がそうなんですけど、自分の心のもっとも脆い部分、弱い部分を突き刺して、えぐり出される様な感覚があるんですが、そういう意味で「この曲だけは聞けない」って思いました。そして、スキップしてたんです。
両親に対しては、いろいろな思いが交差しています。
特に母親に対しては・・。
私と双子の妹は、父親の特殊な仕事のせいで、小さい頃から奇妙で非現実的な環境の中育ちました。
しかしまた、その仕事のせいで、実の母親そして肉親からも、命を狙われ続けてきました。
私たちは虐待を通りこし、拷問とも呼べるような仕打ちを受け続けてきて・・殴る・蹴る・切る・焼く、全ての責め苦に耐えなければなりませんでした。食料もろくに与えられず部屋に監禁されて、外に出た時には、私と妹の髪は極度の栄養失調で真っ赤になっていました・・・毎日が「生きるか、死ぬか」の二つに一つの選択肢の中をくぐり抜けてきたのです。
そんな中、私たちに刷り込まれた自分に対する評価は、「私は最低。醜く、頭が悪く、何をしても人並み以下」でした。そしてそれは、「私は愛される資格などない」という思い込みに変わっていきました。
私と妹は家を飛び出しました。過去も両親も肉親友人も何もかも捨てて・・
食べていくためだけに生きてきました。ですが、一方で両親からの愛、家族からの愛を求める気持ちは日増しに膨れ上がっていきました。
そんな中、縁あって結婚し、3人の子供をもうけて、忙しいながらも幸せな毎日が来たと思ったのも束の間、10年後、離婚という結果に終わってしまいました。
ですがその頃、私の中で、また別の意識が芽生え始めていました。
つまり「私の心の内がすべて外に映し出されているに過ぎないのではないか」という、世界を今までとは全く別の方向から見ることができるようになってきたのです。
しかし最初は、「そうは言っても幼少期のことは選択の余地がないんじゃないか」と思いました。ですが、その時の体験さえ、実は自分で決めてきたのだと、そしてすべては順調・思い通りだったのだと、思えるようになったのです。
そうなると、自分の過去、両親、肉親、友人、すべてに対して、感謝の気持ちが湧いてくるようになりました。
「自分にとって今いる世界が苦しく悲しいものなら、それは、自分の心がそうだから。一件辛く思える過去でも、自分の魂を成長させるために、あえてそれを選んできたのだ。そして、それを実現させる為に、両親や肉親や、その他の環境が、力を貸してくれたのだ」と考えられるようになったのです。
すると、180度、今いる私の世界が変わりました。
今、私は47歳になりましたが、3人の子供たちも立派に成長し、この8月に孫もできました。そして、自分自身もこの5月ベルギー人男性と再婚し、来年の春にはあちらに移住します。私は私の理想とする家族を得ることができました。
やりがいのある仕事も2つ持つことができ、たくさんの素晴らしい同僚と、顧客に恵まれ、そして何より健康で年々体が楽になっていくのを感じることが嬉しいです。
ですが・・やぱりまだ、両親についてのみ、触れられると、底なしの暗闇に落ちてしまうような、どうしようもない気持ちに襲われる時があります。感謝という光によって、その暗闇をかなり明るく照らすことができるようにはなってきたものの、まだ本当には癒されていないのだと思います。
ですので、最初に書いたように、「この曲だけは、無理」って思ってたんです。でも、ここでの皆さんの体験を読ませて頂き、勇気づけられ、聴いてみようと気持ちが決まったんです。
聴いてみると・・・やはり、辛いです。(他の曲も同様です)
でも、その痛さ(熱として私には感じられるのです。母親に焼かれた時が一番痛かったからだと思います。そして火事の中を3度も逃げ出す経験もしていますので、そのトラウマからだと思います)の追体験の後、まっさらに生まれ変わった皮膚の様に、そこには白い清らかな光だけが残っていたのです。
何度も言いますが、このアルバムは私の強力な癒しのツールであり、過去から今、そして未来へと続く私の旅のパートナーでもあります。
アレックス、YFE、そしてファミリーのみんな、本当にありがとう!
あなたたちは、私の魂の家族です。
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Momoka
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Rieさん…私はRieさんの今の幸せが、本当に嬉しいです。
過去の痛みや辛さを、本当の意味で浄化することは、とても難しいと思います。そのことについて触れることや、当時を思い出すような要素なんて絶対に避けて通りたいはず…それでも向き合うことを選び、そしてその中に愛と感謝を見出したRieさんに、感銘を受けました。そんなRieさんを、私は尊敬します。そしてここでこうして、自分をさらけ出したことも…正直、私はまだRieさんのようには考えられないかもしれない…「自分が成長するために、他の人が手助けしてくれた」…こうやって本当に心から思えたら、少しは楽になるんだろうなと思います。
Rieさんのこの曲を通しての旅がまだまだ始まったばかりで続いていくように、私の旅もまだまだ多く発見すべきことがありそうです…その私の旅に、Rieさんは大きなインスピレーションを与えてくれている人です。こうしてYFEを通してお会い出来て、純粋に嬉しく思い、感謝しています!!ありがとうございます!!!!
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YUKIKO
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生きながら死ぬこともあるんだと、すごく感じていた時がある。
体の表面には何も起こらない。
でも心の水面下で心が沈んでいくの。
誰にも気づかれないように…静かに。
もう、景色は本当の景色ではなかったし、何を見ても膜の向こう側のように、ぼんやりとしか感じなかった。
独りだと、ずっと思ってきて…これからもずっと独りだと思っていた。
実際、心は独りだったから、その時間が長すぎて、完全に心はマヒしていたかもしれない。
でも、その反対側で、光が瞬いているの。
それはすごく弱い明かりで、ともすれば消えてしまいそうなほどの…。
自分の中で自分が囁く。
自分を諦めたら、きっと本当に戻れなくなるって。
狭間に立っているのは、時として心もとないけど…それでも、自分の心と誰かの心が少しでもつながれたらいいな…と、それを実感できるようになれたらいいなと思う。
私はやっと、さみしいという感情の波を受けているのかも。
それを実感しているからこそ、その先へ行けるのかもしれない…。
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Momoka
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心にある感情は凍ってしまっているかもしれないけど、死んではいません。ちゃんとYukikoさんの中で生きています。前にアレックスが日本の人たちのために撮ってくれたビデオを覚えているでしょうか?厳しいカナダの冬では、川も凍りついてしまう。けれど、その下にはちゃんと命が続いているのだと…Yukikoさんの心の春も少しずつ近づいていると思います。自分の心がありのまま感じることを、許してあげて下さい。たとえ寂しいというネガティブなものでも。それを受け入れて初めて先に進めると思います…そしてその後は、光へとまっしぐらですよ!だってYukikoさんにはYFEファミリーがいますから!!^^ 心を開いて下さって、どうもありがとうございます。
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Tatsuyoshi Shirai
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英語はまだ勉強中なので日本語で失礼します、
最近の私は私生活においても会社での仕事においても疲れ果てていました。
・・・近隣の中国とのトラブルから会社での締め付け、中国の友人との関係、
全てが上手く行かず、心が折れかかっていました。
でも今日YFEの皆さんからのメッセージが届き私は救われました!
私もYFEのファミリーとして迎え入れてくれていたのだと気付かされました。
・・・そう私は一人じゃないのだと気付かされたのです!
改めて聞くVague Souvenir 心に染み渡ります!
ほんとに私の心を救ってくれてありがとう!
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Momoka
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Tatsuyoshiさん、コメントありがとうございます!!
一度YFEファミリーに入ると結構至難の技だったりするんですよね〜!笑
そうです。Tatsuyoshiさんは一人ではありません。どんなに距離が離れていようとも、どんなに時間が経ったとしても、YFEはずっと側にいて、Tatsuyoshiさんを応援し続けます!
「私の心を救ってくれてありがとう」の言葉があるからこそ、YFEは走り続けることが出来ます…Vague Souvenirを十分に味わって下さい。
そしてその希望をTatsuyoshiさんの生きる力に変えて頂けたらと思います!
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Tsugumi
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My heart is empty… I cannot see light… However, your singing voice gives me warmth. It is true your voice from soul, I felt…
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Momoka
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I’m happy to know that the song gives you warmth.
And I hope you will discover more and more about the songs through this blog series and also by listening to those songs again and again…
I’m sure you will find the light in the end… I’m sure you will!!!!!
Believe in yourself!!!
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Marimo
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告白していいですか?とても個人的なことを書きます。
わたし、長女なんです。弟が2人いて1人は小さい頃から、知的障害と診断されて、特別学級にいたの。想像してみてください、あなたにその状況がわかりますか?小さなわたしには姉としての立場がとても重くて重くて仕方なかったわ、誰にも打ち明けたくない、しかし皆にその事実は次第に尾ひれをつけて広まってゆく、皆のわたしや弟を見る心の奥の冷たい目線をどう理解して良いのか小さなわたしにはそれは重すぎた、耐えられなかった。温かい人もいたわ。でもわたしには全く足りなかった。
わたしは自分を飾る事もさらけ出すことも出来ず、笑わない子どもとして育ったの。わたしには、楽しむということが子どもの頃なかったの。幼稚園の頃から、集団でご飯を食べる昼休みの時間がいちばん孤独で苦痛だったし、そのトラウマはいまだに重くわたしにのしかかるわ、集団の中でわたしは1人、浮いていると自覚して育ちました。
そして何十年と月日は流れ、わたしは家を出て行き、帰ってきた頃には弟はとても頑固になっていたわ。
わたしも6年前に心を病んで、今に至ります。わたしは残された人生の半分を取り返したいの。笑えなかったあの幼い日々を変えることはできないから、思い切り自分の人生を自分の思うままに満喫したいの。変な意味でなく、我が儘に生きることの大切さが今となっては、とてもよくわかるわ、それはリスクを伴います。周囲に迷惑をかけていたとしても、それはお互い様なのだと誰かが言っていました。同意します、わたしはいろんな事に傷つき疲れ果てて生きてきたぶんを取り戻したいのよ。わたしは可能な限りこれからは笑いたいの。泣きたいの。叫びたいの。喜びたいの。
あなたはどんなときもわたしにわかりやすいように優しく想いを伝えてくれます。しかしブログはとても難しいわ、断片でしか理解できないですが、わたしはわたしの人生の流れにあなたがいることを、有難くおもいます。
あなたが個人的なことを書くからわたしも公にしてきました。でなきゃフェアじゃないでしょ、わたしは自分をもっと好きになりたいわ、大キライなわたしからサヨナラするには、乗り越えなけれはいけない壁があるの。
わたしはもっともっと、正直で、強くなりたい。あなたが言ってくれたように。
実践あるのみです。
投稿するわ、壁をぶち壊したあと、わたし自身にどんな変化が訪れるのか、意地悪なわたしが見守っています、楽しみです。
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Momoka
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Marimoさん、心をありのまま開いて、さらけ出してくれて、どうもありがとうございます。
私はMarimoさんに、これからは笑って、泣いて、叫んで、喜んで、怒って欲しいと純粋に思います!
今まで暗闇を歩いて来た分、傷つきながら、心では泣き叫びながらも歩いて来たMarimoさんは、これから笑って過ごす権利があると思います!その価値があると思います!!!そしてそれは、Marimoさんの意志と決断によるものだと思います。
本当の意味で生きたいって、心から思ったMarimoさんには、これからきっと多くの光が訪れますよ!!私は確信しています。
だって、もう実践してるから!!光を本当に望んで、そのために実行する人には、光は確実に訪れます。
壁を本当に打ち破って、自分を変えることは、難しいです。でも、もう既に光りへと歩き出しているMarimoさんの姿が見えます。
大丈夫^^ 皆ついてますよ!!!いつか一緒に思いっきり笑いたいです!!
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Momoka
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“黙って耐えれば、いつか終わる”
私の生き方はまさにこうでした。全てを諦めて、心を無感覚にすれば、痛みも悲しみも感じなくて済むと思ったんです。そうして表面では笑い、内面では無表情というような、心が完全に二つに剥がれているような状態を過ごしていました。
だから人と会うと、とてつもなく疲れるんです。だってずっと仮面被ってなきゃいけないから。だからいつしか人を遠ざけるようになり、一人でいることを好むようになりました。最初は一人でいることが私にとっての自由だったんです。でもいつしか、その自由は孤独に変わりました。人は一人では生きていけないっていうのは本当ですね。そんな中自分を変えようと思い、何か行動を起こさなきゃ…って考えていた矢先に、YFEに会ったんですよ。笑 YFEが真剣に人生を生きている姿を見て、刺激を受け、一度しかない人生、思い切り生きなきゃ損だって思ったんです。本当の意味で自由になって、心から笑いたいと思いました。私を“自分の見せかけの領域”から、一歩出させてくれたのはYFEなんです。だから、ありがとう!!!
ちょっと喋り過ぎたかも…笑
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RIE
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桃香さんの想いを、そして過去をシェアして下さってありがとうございます!
桃香さんも自分の本当の気持ちを押し殺して、ただ耐え忍ぶだけの過去を経験されてきたのですね・・。
でも、いつしか、桃香さんの中で、自由が孤独に変わり、一人でいることを好んでいたのが、一人では生きていけない、と変わり、そして、自分を変えようと思うようになった・・・
そしてその結果、今があるんですよね!
桃香さん、今、幸せですか?きっとそうだと思います。
心から信頼できる仲間と共に、寝て、起きて、食べて、仕事をして、楽しんで・・^^
毎日が挑戦・・でもワクワクドキドキするような・・で彩られているのではないでしょうか?そうだと私もとても嬉しいです!!
それは桃香さんの心が変わって、見方が変わったから、桃香さんの世界がそれに合わせて変わったのだと思います。
許せないことは置いておいて、光にだけ、集中してみて下さいね。すると、いつの間にか許せている自分に気がつかれると思います!!
いつもファミリーの皆を助けてくれて、ありがとう!!感謝しています^^
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Akiko
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とにかく、うなずくばかりの内容の記事でした。
私が良く思うのは…
沢山の音楽を聴いていると、いつも不思議に思う事があります。
例えば、自暴自棄の様な感情を持ってランダムに色んなバンドを聴きあさっていると、凄く心にストレートに響く様な曲に出会う事が出来る。
“何だこの曲!!凄く良い!!”って思って、歌詞を調べて自分なりに翻訳してみると…正に自分の心境にピッタリな歌詞なんです!!
そんな驚きの経験を、私は何度もしてきました。
そして感じた事は…
やっぱり音楽に言葉の壁は存在しないし、言葉が分からなくても不思議と心に通じてしまうものがある、と感じます。
だからきっと、”良い音楽”、”悪い音楽”なんてものは無くて、自分の心とフィーリングの合う音楽かどうかって事なのかなって思います。
それはきっと、自分自身の心の変化にも伴うだろうし…。
自分が変わって行くと、聴く音楽も変わって行く事もあるし、同じ音楽を愛し続けていても、その時々で捉え方も意味すらも変わって来る気がします。
Alexもこの曲はきっとそうやって、一緒に生きて来た曲なんですよね?
そして私はAlexにとってそんな意味深い曲を、Alexの声で、YFEの音で聴ける事がとても幸せだと思っています。
Your sister Akiko.
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Momoka
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音楽って不思議ですよね。言葉が分からなくても、何か伝わってくるものがある…そしてそれは、自分のいる人生の時期によって印象や捉え方が違って来る…まさに私たちの心に寄り添って、その成長とともに、一緒に歩んでいけるものだと思います。
私達は普段音楽を受け取る側だけど、音楽を創る側にとっても、きっとそれは同じで、だからこそ、Alexによって、解釈され、彼自身の想いを込めたものとしての、この曲の世界を見て、聴けることは、とても特別ですよね!!!
この曲がAkikoさんにとって今どんな意味を持つのか、そして数年後にどんな意味を持つのか…未来がどうなるかは分からないけど、きっと同じ感想は出て来ないだろうと思います!だって、人は皆成長し、変わっていくから…;)
コメントしてくれて、ありのままの感想を書いてくれてどうもありがとうございます!!メッセージは、ちゃんとアレックスに伝えておきますね♪
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