…そして最後は始まりの地で

Written by Your Favorite Enemies. Posted in The Carp Leaping Over The Dragon Gate

私たちは北京に出発する前、蘇州にて半日オフがあったので、市内を少し歩いて楽しみました。蘇州は古代の魅力を残した美しい町です。多数通る川には美しいアーチ型の橋がかけられています。この町を歩いていると、タイムスリップして古代の中国を発見しているかのような気持ちになります…そうして私たちは駅へと向かいました。再び人々からの大注目です…白人、長髪に髭の男たち、プラチナブロンドの女の子たち、YBのファッション、大量のスーツケースに音楽機材…これらの要素のせいかは分かりませんが、行く場所全てで、私たちは人々から大注目を浴びます…

そして北京に到着しました。中国の首都であるこの場所に戻ってこれて嬉しいです。この場所はバンドにとって多くの思い出が残る場所…バンドの歴史にとって、とても重要な役割をはたした場所です!池の近くにあるスターバックスに戻ることを、私たちは楽しみにしていました。忙しい大都市の中心にある穏やかなオアシス…そう、スターバックスです。私たちがスターバックスなしでは生きられないということに、皆さん、もうお気づきですね… 🙂

私たちはサウンドチェックへ向かうためにスターバックスを出発しました。この日のサウンドチェックはテクニカルな面で、とても難しかった場所です。なんとか全てをセッティングし、サウンドを調節しました。ステージ上のメンバーみんな、今夜のコンディションが完璧ではないことは分かっていました。それでも大丈夫でした。技術面ではなく、その時の感情が道を開くと分かっていたからです。私たちはドアが開いて、ライヴが始まるのを首を長くして待っていました!

北京でのライヴハウスは3年前と同じ、Mao Livehouseでした!店のオーナーは私たちに会うのをとても楽しみにしていました。というのも、店を開いて以来、こんなに激しくて、クレイジーなバンドは見たことがないと言っていたからです!そして、バンドは今夜もその言葉に忠実だったと言いましょうか、ステージ上でも、フロアでも、とてもワイルドな瞬間、感動的な瞬間を経験しました…あんな風に解放する人々を見るのは新鮮です。フロアにいる人々だけでなく、ステージ上でのバンドメンバーも。途切れることなく、みんなで叫んでいました。“僕らは生きてる。瞬間は今この時だ。それを無駄にしたりしない。思い切り生きるんだ。僕らは生きてる。今、唯一大事なのはそれだけだ!”

翌日、北京から寝台列車に乗って西安へ行きました!長距離移動でしたが、私たちはつまらなくならないようにしました!ジェフ、ベンとムースは昼間、北京の町を歩いて、YBの誕生日のためのケーキを探して買っておいたのです!この特別な瞬間をお祝いしない手はありませんでした…そして西安へのファンキーな寝台列車ほど良い場所はありません!彼らはとても綺麗なケーキを見つけてきました(移動の間に酷いことになっちゃいましたが、ミス・イザベルが手直ししてくれました)!

ガタガタ揺れながらの長い移動を経て、西安へと到着しました!少し町を探検して、スターバックスにて数時間過ごし、そうしてサウンドチェックへと向かいました!この町に着いてすぐ、とてもリスキーなものに気づきました…電線をものすごい方法で修復していたんです…そして私たちはローカルな屋台へと立ち寄り、セフはこの土地の味(あまり喜んではいませんでした)にトライしました。そして道路交通を規制する(中国でそんなことが可能であれば)素晴らしい警官にも出会いました。

私たちはライヴハウスのオーナーと彼の息子さんと2匹の猫に出迎えられました!とてもクールな場所で、西安でも一番です。リビングを連想させるようなソファがあって、とても心地良いけど、同時に少し荒々しい部屋でもありました。海外のボトルビールのコレクションが展示されていて、至るところにポラロイド写真が散りばめられ、そしてビリヤード台もありました。

この場所を更に特別なものにしたこと、それはSFCCメンバーを招いてのサウンドチェックです!SFCCコミュニティのウェブサイトにて生中継されました!それは本当に特別な瞬間でした。中国で初めて生中継を試みたのです。これを実行できて、とても嬉しかったです!少し皆さんに近づけた気がしました!中国にいる間、皆さんとコミュニケーションをとるのはとても難しいので、こういう特別な形で、皆さんを私たちの世界にお連れ出来たことが嬉しかったです!

そうしてライヴです!とても素晴らしい時間でした!本物を求める若者、寄り添える何かを探している若者たちで、会場は本当に燃えていました。中国でロックはまだアンダーグラウンドなんです。音楽がお金持ちだけの娯楽であったのは、そう遠い昔ではありません。大勢の人に広まっていきましたが、中国の伝統音楽か中国、韓国、日本のポップアイドルだけでした。ロック人口は今でも少なく、ひんしゅくを買います。それでも、このサブカルチャーは中国でとても活気づき、少なくとも、思い切り受け入れて味わっていると言っていいと思います!

そうしてライヴです!とても素晴らしい時間でした!本物を求める若者、寄り添える何かを探している若者たちで、会場は本当に燃えていました。中国でロックはまだアンダーグラウンドなんです。音楽がお金持ちだけの娯楽であったのは、そう遠い昔ではありません。大勢の人に広まっていきましたが、中国の伝統音楽か中国、韓国、日本のポップアイドルだけでした。ロック人口は今でも少なく、ひんしゅくを買います。それでも、このサブカルチャーは中国でとても活気づき、少なくとも、思い切り受け入れて味わっていると言っていいと思います!

私たちはホテルに戻り、荷物をまとめて、重慶市行きの寝台列車に乗るために西安駅へと向かいました!それは、とんでもない冒険でした。全ての楽器機材を持って駅に到着し、チケットのチェックをする列に並び、荷物のスキャンが終わるのを待ちました。ここで、理解してもらいたいのが、この作業のプロセスがどれだけ私たちにとって面倒くさいものかということです!ギターケースをばらして、それをスキャナーベルトに乗せ、また一つにまとめ直す。でも私たちはやり遂げたんです!そして電車への列に並びました。すると、その人の波の中で、このプラットフォームにはエレベーターがないことを知らされました。それだけじゃありません。エスカレーターもなかったのです。それは、楽器機材を一つ一つ持って、人混みをかき分け、200段もの階段を上らなければいけないことを意味していました。持っていった機材をプラットフォームに置き、流れに逆らい階段を下り、残っている機材を持っていく…。階段を上りきったあと、全員汗だくでした。機材を全てまた元通りに一つにまとめ、できるだけ早く細長い廊下を歩きました。そして再び…階段。今度は降りる必要がありました。同じパターンです。機材をばらし、それを持って階段を下りて、また戻ってくる。残っている機材を持っていき、また一つにまとめ直す。そして電車へと走りました。キャビン1からキャビン14までは、かなりの距離です…私たちはキャビン14に着き、機材を中に入れ始めました。しかし、狭過ぎたのです。私たちは車内の反対側にいたのですが、オーバーブッキングされた人混みの中、車内のせまい通りをスーツケースを持って移動することは不可能でした。全てを一旦プラットフォームに出し、キャビンのまた別のドアへと向かいました。機材を運び込みましたが、連結の扉は鍵がかかっていました。キャビン15まで辿り着けません。また外へ出て、違う扉へ。狭い通りを人混みをかき分けて進むしかありません。そうして私たちの通訳者は、車掌さんと話をして、キャビン15と14の間のドアの鍵を開けてくれることにしました。再びキャビンの反対側に戻りました。電車が出発するまであと2分。遅延はありえないとのこと。私たちはまだ電車の外。スーツケース20個ほどを中へ入れる作業が残っていました。でも、やり遂げたんです。やり遂げたんです!私たちは全員、人も機材も全て含めて、電車に乗り込むことができました!そこからは12時間の寝台列車の旅…汗まみれになったまま!

早朝に重慶市に到着。ホテルへと向かい、少し町を歩いて、翌日ライヴをする予定であったNuts Barに立ち寄りました。そして、その後は少しリラックスしようと決めました… 🙂

重慶市でのライヴは、このツアーの最後から2番目でした。もうすぐツアーが終わろうとしてるなんて、信じられませんでした。時間が経つのはあっという間です!でも何となく、この日のライヴが最高のものになると確信していました。前日にライヴハウスを訪れたときから、アレックスはそれをとても強く感じていました。そして彼は正しかったのです!何という夜だったんでしょうか!人々は完全にクレイジーでした!重慶市のNuts Barにいた人々と分かち合った瞬間を、言葉で表現するのが難しいです!シンプルに、あれは瞬間が永遠となったものでしあ。女の子たちは叫んで(大好きなボーズバンドを目の前にした女の子たちを想像して下さい。でも女の子と言っても20代、そしてYFEはボーイズバンドじゃありません)、拳を上げ、モッシュピット、ヘッドバンギング、そして一番後ろの列の人たちは互いに肩を組み、ヘッドバンギングの波をつくり出していました。アレックスは数えきれないほど観客の中へと入り、ボディサーフィンもしました。そしてドラムは最後、観客の真ん中で終わりました!この全てが、バンドのファンクラブSecret Family Cult Clubのオンラインサイトにて生中継されました!本当に素晴らしい交流の瞬間…中国から、北米、ヨーロッパ、日本、そしてオーストラリアまで!

ライヴが終わったあとも、しばらくそこにいて、写真を撮ったり、サインをしたり、人々と話をしていました。私たちが会場を後にしたのは深夜過ぎ。最高に激しい夜だったにも関わらず(アレックスのびしょ濡れになったTシャツがその証拠です!)、この瞬間がもっと長く続いて欲しいと思いました…中国での良いところは、ライヴハウスを追い出されることがあまりないこと…反対に、ライヴ後こういう人間同士の交流を受け入れてくれるんです!時間の許す限りライヴなどについて話たりして、最終的にはホテルのロビーで終わりを迎えました!

翌朝、9時半にホテルを出発し駅へ。駅に到着するまでに90分もかかりました…!90分の中国の渋滞。今日は休暇の始まりの日でした。通常、中国の渋滞はかなりのものです。彼らはコミュニケーションにクラクションを使います。車線は完全に存在しません。バスが高速で自転車と一緒に走っています(そう、バイクじゃなくて自転車)。耳障りな音がそこら中鳴り響いています…私たちはようやく、ホテルに午後4時頃到着し、チェックインして、部屋にスーツケースを運び、そうして急いでライヴハウスへ向かいました。バックパックを背負いながら楽器機材を持って、歩いて、歩いて、歩いて…ようやく到着。20分歩いたあと、静寂に包まれた素敵なライヴハウス。ライヴハウスは閉まっていました。通訳の人がオーナーに電話したところ、そこは正しい“Little Bar”ではなかったことが判明。このバー&ライヴハウスは、この辺に5件あるとのこと。そしてここは正しいところじゃなかったのです。またホテルの方に戻ること20分…そしてもう10分歩いて、ようやくこの日のライヴハウスに到着しました!


そしてライヴも、この日経験したイメージとぴったり…激しくて、ワイルドで、汗まみれ!ツアー最後のライヴはソールドアウト。当日券が買えることを願って来た人たちもいました…チケットが手に入らなかったたくさんの人たちが外で待っているのを見て、スタッフはドアを開けっ放しにしておくことにしました…“ライヴは見れないかもしれないけど、少なくとも聴くことはできるだろう!” アレックスはステージでの時間よりもフロアで長い時間を過ごしました。どうやっているのかは謎です。というのも、人混みの中を歩くのは、“ミッション・インポッシブル”ですから!会場は満員でした!再び、アレックスは数えきれないくらい観客の中へとジャンプしました…でも、2階のバルコニーから彼がジャンプした数はしっかり覚えてます。3回!最後にしたジャンプはかなりのものでした…ボディサーフィンをしていて、人々に行きたい方向を伝え、人々に抱え込まれながら、バルコニーへとよじ登ったのです!観客はクレイジーでした。完全にクレイジー…それ以外、あの瞬間を生きる方法はなかったと思います!

こうして中国ツアーは終了しました…3年前にツアーを始めたのと全く同じ町で…
人の心に触れた本物の経験、改めて、また私たちを変えてくれました。
信じる限り、全てが可能なのだと思い出させてくれました。
私たちは、なりたい自分になることができる。
私たちは、望むものを夢見ることができる。
私たちは自由。そして空を飛んでいます。たとえ翼が見えなくても。
だって、翼がなくても飛べるから。
エラがなくても、水の下で呼吸できるのと同じように。

– Stephanie

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