…そして最後は始まりの地で

Written by Your Favorite Enemies. Posted in The Carp Leaping Over The Dragon Gate

私たちは北京に出発する前、蘇州にて半日オフがあったので、市内を少し歩いて楽しみました。蘇州は古代の魅力を残した美しい町です。多数通る川には美しいアーチ型の橋がかけられています。この町を歩いていると、タイムスリップして古代の中国を発見しているかのような気持ちになります…そうして私たちは駅へと向かいました。再び人々からの大注目です…白人、長髪に髭の男たち、プラチナブロンドの女の子たち、YBのファッション、大量のスーツケースに音楽機材…これらの要素のせいかは分かりませんが、行く場所全てで、私たちは人々から大注目を浴びます…

そして北京に到着しました。中国の首都であるこの場所に戻ってこれて嬉しいです。この場所はバンドにとって多くの思い出が残る場所…バンドの歴史にとって、とても重要な役割をはたした場所です!池の近くにあるスターバックスに戻ることを、私たちは楽しみにしていました。忙しい大都市の中心にある穏やかなオアシス…そう、スターバックスです。私たちがスターバックスなしでは生きられないということに、皆さん、もうお気づきですね… 🙂

私たちはサウンドチェックへ向かうためにスターバックスを出発しました。この日のサウンドチェックはテクニカルな面で、とても難しかった場所です。なんとか全てをセッティングし、サウンドを調節しました。ステージ上のメンバーみんな、今夜のコンディションが完璧ではないことは分かっていました。それでも大丈夫でした。技術面ではなく、その時の感情が道を開くと分かっていたからです。私たちはドアが開いて、ライヴが始まるのを首を長くして待っていました!

北京でのライヴハウスは3年前と同じ、Mao Livehouseでした!店のオーナーは私たちに会うのをとても楽しみにしていました。というのも、店を開いて以来、こんなに激しくて、クレイジーなバンドは見たことがないと言っていたからです!そして、バンドは今夜もその言葉に忠実だったと言いましょうか、ステージ上でも、フロアでも、とてもワイルドな瞬間、感動的な瞬間を経験しました…あんな風に解放する人々を見るのは新鮮です。フロアにいる人々だけでなく、ステージ上でのバンドメンバーも。途切れることなく、みんなで叫んでいました。“僕らは生きてる。瞬間は今この時だ。それを無駄にしたりしない。思い切り生きるんだ。僕らは生きてる。今、唯一大事なのはそれだけだ!”

翌日、北京から寝台列車に乗って西安へ行きました!長距離移動でしたが、私たちはつまらなくならないようにしました!ジェフ、ベンとムースは昼間、北京の町を歩いて、YBの誕生日のためのケーキを探して買っておいたのです!この特別な瞬間をお祝いしない手はありませんでした…そして西安へのファンキーな寝台列車ほど良い場所はありません!彼らはとても綺麗なケーキを見つけてきました(移動の間に酷いことになっちゃいましたが、ミス・イザベルが手直ししてくれました)!

ガタガタ揺れながらの長い移動を経て、西安へと到着しました!少し町を探検して、スターバックスにて数時間過ごし、そうしてサウンドチェックへと向かいました!この町に着いてすぐ、とてもリスキーなものに気づきました…電線をものすごい方法で修復していたんです…そして私たちはローカルな屋台へと立ち寄り、セフはこの土地の味(あまり喜んではいませんでした)にトライしました。そして道路交通を規制する(中国でそんなことが可能であれば)素晴らしい警官にも出会いました。

私たちはライヴハウスのオーナーと彼の息子さんと2匹の猫に出迎えられました!とてもクールな場所で、西安でも一番です。リビングを連想させるようなソファがあって、とても心地良いけど、同時に少し荒々しい部屋でもありました。海外のボトルビールのコレクションが展示されていて、至るところにポラロイド写真が散りばめられ、そしてビリヤード台もありました。

この場所を更に特別なものにしたこと、それはSFCCメンバーを招いてのサウンドチェックです!SFCCコミュニティのウェブサイトにて生中継されました!それは本当に特別な瞬間でした。中国で初めて生中継を試みたのです。これを実行できて、とても嬉しかったです!少し皆さんに近づけた気がしました!中国にいる間、皆さんとコミュニケーションをとるのはとても難しいので、こういう特別な形で、皆さんを私たちの世界にお連れ出来たことが嬉しかったです!

そうしてライヴです!とても素晴らしい時間でした!本物を求める若者、寄り添える何かを探している若者たちで、会場は本当に燃えていました。中国でロックはまだアンダーグラウンドなんです。音楽がお金持ちだけの娯楽であったのは、そう遠い昔ではありません。大勢の人に広まっていきましたが、中国の伝統音楽か中国、韓国、日本のポップアイドルだけでした。ロック人口は今でも少なく、ひんしゅくを買います。それでも、このサブカルチャーは中国でとても活気づき、少なくとも、思い切り受け入れて味わっていると言っていいと思います!

そうしてライヴです!とても素晴らしい時間でした!本物を求める若者、寄り添える何かを探している若者たちで、会場は本当に燃えていました。中国でロックはまだアンダーグラウンドなんです。音楽がお金持ちだけの娯楽であったのは、そう遠い昔ではありません。大勢の人に広まっていきましたが、中国の伝統音楽か中国、韓国、日本のポップアイドルだけでした。ロック人口は今でも少なく、ひんしゅくを買います。それでも、このサブカルチャーは中国でとても活気づき、少なくとも、思い切り受け入れて味わっていると言っていいと思います!

私たちはホテルに戻り、荷物をまとめて、重慶市行きの寝台列車に乗るために西安駅へと向かいました!それは、とんでもない冒険でした。全ての楽器機材を持って駅に到着し、チケットのチェックをする列に並び、荷物のスキャンが終わるのを待ちました。ここで、理解してもらいたいのが、この作業のプロセスがどれだけ私たちにとって面倒くさいものかということです!ギターケースをばらして、それをスキャナーベルトに乗せ、また一つにまとめ直す。でも私たちはやり遂げたんです!そして電車への列に並びました。すると、その人の波の中で、このプラットフォームにはエレベーターがないことを知らされました。それだけじゃありません。エスカレーターもなかったのです。それは、楽器機材を一つ一つ持って、人混みをかき分け、200段もの階段を上らなければいけないことを意味していました。持っていった機材をプラットフォームに置き、流れに逆らい階段を下り、残っている機材を持っていく…。階段を上りきったあと、全員汗だくでした。機材を全てまた元通りに一つにまとめ、できるだけ早く細長い廊下を歩きました。そして再び…階段。今度は降りる必要がありました。同じパターンです。機材をばらし、それを持って階段を下りて、また戻ってくる。残っている機材を持っていき、また一つにまとめ直す。そして電車へと走りました。キャビン1からキャビン14までは、かなりの距離です…私たちはキャビン14に着き、機材を中に入れ始めました。しかし、狭過ぎたのです。私たちは車内の反対側にいたのですが、オーバーブッキングされた人混みの中、車内のせまい通りをスーツケースを持って移動することは不可能でした。全てを一旦プラットフォームに出し、キャビンのまた別のドアへと向かいました。機材を運び込みましたが、連結の扉は鍵がかかっていました。キャビン15まで辿り着けません。また外へ出て、違う扉へ。狭い通りを人混みをかき分けて進むしかありません。そうして私たちの通訳者は、車掌さんと話をして、キャビン15と14の間のドアの鍵を開けてくれることにしました。再びキャビンの反対側に戻りました。電車が出発するまであと2分。遅延はありえないとのこと。私たちはまだ電車の外。スーツケース20個ほどを中へ入れる作業が残っていました。でも、やり遂げたんです。やり遂げたんです!私たちは全員、人も機材も全て含めて、電車に乗り込むことができました!そこからは12時間の寝台列車の旅…汗まみれになったまま!

早朝に重慶市に到着。ホテルへと向かい、少し町を歩いて、翌日ライヴをする予定であったNuts Barに立ち寄りました。そして、その後は少しリラックスしようと決めました… 🙂

重慶市でのライヴは、このツアーの最後から2番目でした。もうすぐツアーが終わろうとしてるなんて、信じられませんでした。時間が経つのはあっという間です!でも何となく、この日のライヴが最高のものになると確信していました。前日にライヴハウスを訪れたときから、アレックスはそれをとても強く感じていました。そして彼は正しかったのです!何という夜だったんでしょうか!人々は完全にクレイジーでした!重慶市のNuts Barにいた人々と分かち合った瞬間を、言葉で表現するのが難しいです!シンプルに、あれは瞬間が永遠となったものでしあ。女の子たちは叫んで(大好きなボーズバンドを目の前にした女の子たちを想像して下さい。でも女の子と言っても20代、そしてYFEはボーイズバンドじゃありません)、拳を上げ、モッシュピット、ヘッドバンギング、そして一番後ろの列の人たちは互いに肩を組み、ヘッドバンギングの波をつくり出していました。アレックスは数えきれないほど観客の中へと入り、ボディサーフィンもしました。そしてドラムは最後、観客の真ん中で終わりました!この全てが、バンドのファンクラブSecret Family Cult Clubのオンラインサイトにて生中継されました!本当に素晴らしい交流の瞬間…中国から、北米、ヨーロッパ、日本、そしてオーストラリアまで!

ライヴが終わったあとも、しばらくそこにいて、写真を撮ったり、サインをしたり、人々と話をしていました。私たちが会場を後にしたのは深夜過ぎ。最高に激しい夜だったにも関わらず(アレックスのびしょ濡れになったTシャツがその証拠です!)、この瞬間がもっと長く続いて欲しいと思いました…中国での良いところは、ライヴハウスを追い出されることがあまりないこと…反対に、ライヴ後こういう人間同士の交流を受け入れてくれるんです!時間の許す限りライヴなどについて話たりして、最終的にはホテルのロビーで終わりを迎えました!

翌朝、9時半にホテルを出発し駅へ。駅に到着するまでに90分もかかりました…!90分の中国の渋滞。今日は休暇の始まりの日でした。通常、中国の渋滞はかなりのものです。彼らはコミュニケーションにクラクションを使います。車線は完全に存在しません。バスが高速で自転車と一緒に走っています(そう、バイクじゃなくて自転車)。耳障りな音がそこら中鳴り響いています…私たちはようやく、ホテルに午後4時頃到着し、チェックインして、部屋にスーツケースを運び、そうして急いでライヴハウスへ向かいました。バックパックを背負いながら楽器機材を持って、歩いて、歩いて、歩いて…ようやく到着。20分歩いたあと、静寂に包まれた素敵なライヴハウス。ライヴハウスは閉まっていました。通訳の人がオーナーに電話したところ、そこは正しい“Little Bar”ではなかったことが判明。このバー&ライヴハウスは、この辺に5件あるとのこと。そしてここは正しいところじゃなかったのです。またホテルの方に戻ること20分…そしてもう10分歩いて、ようやくこの日のライヴハウスに到着しました!


そしてライヴも、この日経験したイメージとぴったり…激しくて、ワイルドで、汗まみれ!ツアー最後のライヴはソールドアウト。当日券が買えることを願って来た人たちもいました…チケットが手に入らなかったたくさんの人たちが外で待っているのを見て、スタッフはドアを開けっ放しにしておくことにしました…“ライヴは見れないかもしれないけど、少なくとも聴くことはできるだろう!” アレックスはステージでの時間よりもフロアで長い時間を過ごしました。どうやっているのかは謎です。というのも、人混みの中を歩くのは、“ミッション・インポッシブル”ですから!会場は満員でした!再び、アレックスは数えきれないくらい観客の中へとジャンプしました…でも、2階のバルコニーから彼がジャンプした数はしっかり覚えてます。3回!最後にしたジャンプはかなりのものでした…ボディサーフィンをしていて、人々に行きたい方向を伝え、人々に抱え込まれながら、バルコニーへとよじ登ったのです!観客はクレイジーでした。完全にクレイジー…それ以外、あの瞬間を生きる方法はなかったと思います!

こうして中国ツアーは終了しました…3年前にツアーを始めたのと全く同じ町で…
人の心に触れた本物の経験、改めて、また私たちを変えてくれました。
信じる限り、全てが可能なのだと思い出させてくれました。
私たちは、なりたい自分になることができる。
私たちは、望むものを夢見ることができる。
私たちは自由。そして空を飛んでいます。たとえ翼が見えなくても。
だって、翼がなくても飛べるから。
エラがなくても、水の下で呼吸できるのと同じように。

– Stephanie

上海−蘇州、完璧な魔法の瞬間!

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上海と蘇州(Suzhou)での冒険はとっても面白く始まりました!ライブの後、2日間滞在した武漢(Wuhan)から、上海まで夜行列車で10時間の移動をしたのです。誰もこのアイディアに乗り気ではありませんでしたが、飛行機よりも面倒でないことが分かったので(飛行機の方が早いですが、荷物の重量制限が低いんです−私たちの荷物はもうすでにギリギリで、毎回オレンジの“heavy”と書かれたステッカーを受け取っています−なので電車のが良いと判断しました!)私たちは、飛行機よりも心地よい、自分たちの個室がもらえるというアイディアに喜びました。でも乗り込む直前に、私たちの場所はその心地よい個室じゃないということを知ったのです。私たちはレギュラーの“ハード・スリーパー”列車でした。このネーミングセンスはばっちりです。ベッドは固く、居心地悪くて、小さすぎました。それでも、もう既にこのような電車に乗ったことがあったので、思い出がたくさんよみがえりました。荷物や機材をなんとか全て置いて、それをよじ登ってベッドへ入ることも笑いとなりました。前回のツアーからの、このような話を伝えられたらいいんですが、きっと次のBla Bla Blaに加えられると思います。“その場にいなきゃ分からない”タイプの話ですが、メンバーの熱さで、皆さんにもちゃんと伝わると思います。今回は、私たちはとても静かに、みんなすぐに眠りにつきました!

そして上海に着きました。そこは私たちにとって全く初めての場所でした。前回はMIDIフェスティバルでライヴをしましたが、これは私たち全員にとって、とても特別な瞬間となっています…あれはツアーの始めの方、アレックスが文字通り、飛び方を知るために重力に逆らった場所…彼は、夢と情熱を求めていた中国の若者たちの中へとクラウドサーフィンしに行ったのです。どれくらいそうしていたか分からないくらい長い時間、バンドはステージでロックし続けていました。あの日は、誰もが飛ぶことができました…みんなの情熱が、私たち全員を高揚させたのです。私たちを最も美しい鳥の群れにしてくれました。私たちはみんな違いましたが、行き先は同じでした:自由。個々人にとって、この言葉がどんな意味を持とうと、みんなで一緒にそこへ向かっていることは分かっていました。そしてあの時から、私たちはその道を進み続けています。日々、少しずつ発見しながら、転びながらも、道に間違いながらも、それでもなお、自由に。

そして今回の上海でのライヴは、とても特別なものでした。私たちが最大限に色々な感情や色を経験するために、時が止まったかのような魔法の瞬間でした。まだ経験したり、見られたりしていない感情や色、そして私たち自身が定め、掴むもの – 私たちは思い切りそうしました!再び、解放を通した自由への新たな一歩です。絶対に忘れないだろう夜になりました。理由はそれぞれに、でも心は一つとして。

私たちは上海を翌朝11時に出発し、蘇州へ向かいました。この2つの都市はとても近かったので、長距離移動でなくて、ほっとしました。駅について、リラックスするために朝食をとりました… 😉

私たちは蘇州を再び訪れることに大喜びしていました。3年前と全く同じライヴハウスでライヴするのです。ただ、名前は同じで、スタッフも同じだけど、場所だけが変わっていました。以前あった場所と近い場所ではありますが、全く新しく感じました。道を歩きながら、色々な細かいディテールを思い出しました。3年で町は変わりました。3年前に工事をしていたもののほとんどが、新しくオープンしていました。フレンチカフェに、猫カフェ、アイリッシュパブに、ラウンジ、テラス…ここは、町自体がユニークな雰囲気を持っています。そのモダンな空気の中で、古き魅力も残っているのです。

私たちはサウンドチェックをしました。全てが整っているかを確認するまで長く時間がかかりましたが、この日のライヴもきっと忘れられないものになると感じていました。蘇州は美しい町というだけでなく、そこに住む人々も情熱的で、夢と自由の力を信じています。ありがとう、蘇州!あなたの情熱が、再び私たちを、想像もしていなかったような形で勇気づけてくれました!

ライヴのあと、私たちはコーヒーショップに立ち寄りました。3年前ライヴの後に来たのと同じカフェです。私たちを覚えていたお店のオーナーと話をしました。そして喜んで通常の閉店の時間から、数時間ほど開けたままにしてくれました。

私たちは今、次のステップ、北京はMao Livehouseでのライヴに向かう途中です。そこのオーナーはインタビューでYFEについて、自分が店をオープンして以来、最もクレイジーなアクトだと言いました。今回は何が起こるか、彼はきっと楽しみでしょうね… 😉

Stephanie

PS:私がブログ内で話していたMIDIフェスティバルが何か知らない人は、ぜひチェックされることを強くお勧めします!バンドのパフォーマンスは録画され、皆さんがこの瞬間に参加できるようにDVDになっています!逃さないで下さい!YFEストアでゲットできますよ!リンクはこちらです!

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3年後また中国へ…続くラブストーリー…

Written by Your Favorite Enemies. Posted in The Carp Leaping Over The Dragon Gate

私たちは火曜の明け方3時半に家を出て、モントリオール空港に向かい、トロント行きの飛行機に乗って上海へと飛び立ちました!空港に着いて初めに聞かされたのは、私たちのフライトがキャンセルされて、私たちは午前7時出発(予定より30分早い)のフライトへの保留リストに載っているとのことでした。もしくは、午前7時のフライトがいっぱいだったら、午前8時。もしくは午前9時。早い話が、空港スタッフはいつ私たちがトロントに着けるかも、そして上海行きの飛行機に間に合うのかも分かりませんでした。これはかなりのトラブルです。フライトが遅くなればなるほど、初日のライヴに間に合いません。4月15日にスノーストームを送ってくれて、どうもありがとう、カナダの空よ!とっても優しいのね!ゲートのスタッフとしばし話して、午前8時出発トロント行きのフライトに全員、乗ることができました!

トロント空港での、伝統!みんなでパッタイを食べます!そしてジェフには追加分のハンバーガーも。午前9時半でしたが、特に誰も迷惑そうではありませんでした。夜、全く寝なかったので、朝という感じがしなかったんでしょう!ジェフは、これから中国ツアーで経験するであろう食事をYBに味見させてあげました…激辛フードです!

そして、上海行きのフライト搭乗時刻。まだ飛行機に乗り込む以前に、中国人の傾向において、あることが思い起こされました。彼らは、個人的なスペースがないことを知っています。搭乗のアナウンスがされたのと同時に、一気に全員がゲートに集まりました。でも中国ではこうなんです。彼らは列を作りません。そして全員が全員と話しています。最初は、互いに叫んで、どなっているのかと思いました。でも違うんです。彼らはただ友人になり、まるで長年の友人かのように、色々なことを話しているのです。だからこそ、私たちはフライト中、素晴らしい人々に会いました。というのも、私たちは機内の後ろに集まって乾杯したので、みんな何事かと思い、仲間に加わったんです。

そうして上海に到着しました。楽器機材も全て無事に手にできました。(フライトが不確かだとどうなるか分からないんです!)そして、ツアー中の通訳者Yu Huiさんと会いました!彼女は自己紹介をし、外に出てタクシーに乗り込み、上海から45分ほどのNantongへと向かいました。でもタクシーが来るのが遅くて、しかも来たのは2台のみ。私たちが座るのにシートは足りず、1台はほぼ音楽機材とスーツケース。45分の移動の予定は、結局2時間半となりましたが、なんとかNantongに到着しました!ホテルのチェックインを済まし、ロビーに集まり、ライヴハウスのオーナーに会い、伝統的な中国レストランへと夕食をしに行きました!

そしてライヴ初日!中国での3年振りのライヴです…どれだけワクワクしていたか、言葉では表現できないくらいです!Nantongでライヴしたことはありませんでしたし、町の名前すら初めて聞きました。実は、中国人の友人に、私が今Nantongにいると言ったら、彼女ですらこの町のことを何も知らなかったんです!私たちは朝遅く起きて(疲れと、時差ボケのせい!)ホテルのレストランから追い出されるまでみんなで時間を過ごしました。閉店時間から3時間過ぎていたんですが、ジャイアンツの試合を最後まで見なきゃいけなかったんです!そして…サウンドチェック!何というサウンドチェックだったんでしょうか!バンドは数曲を演奏しました。スタッフはとても喜んでいました!

少し休憩(昼寝と読む)をした後、ライヴ本番!そして素晴らしいライヴでした!会場は人でいっぱい、彼らは完全に燃えていて、それは私たちも同じでした!バンドがステージに上がり、マッドネスがThe Voidいっぱいに広がったのです!人々は叫び、ヘッドバンギングし、汗をかき、曲の合間に呼吸を戻すためにセキュリティーランプの上で休憩し、モッシュピットを作り、クラウドサーフィンしていました…フロアは汗とビールが飛び散っていました(中国の人は水の代わりにビールでリフレッシュするようです!)あとは煙草。でも誰も気にしません。これはライヴで、激しくて、ロックンロールなんです。ただ、そうであるべきなんです!私たちは記憶に残るような夜を過ごしました。ライヴに来てくれた色々な国の人たちと、素晴らしい会話をしたのです。この町での初めてのライヴでしたが、Nantongは私たちの心に素晴らしい印象を残してくれました!

私たちは朝早くNantongを出発し、上海へと向かいました。そこから電車に乗ってHangzhouまで行きます。前日、私たちと機材のための車内スペースが足りなかったのを見て、通訳者のYu Huiさんは、今度はそうならないように手配をしてくれました。実際、私たちにはソファ付きのバスが来たのです。あまり広すぎても変な感じがしました!この機会を使って、睡眠をとることにしました。ある人は誰よりも良く…。というのも、バスがホテルに到着した時、まだ目覚めていなかった人もいますから−セフとか!

新しいホテルへのチェックインを済ませた後は、もうサウンドチェックの時間でした。今夜のライヴへの楽しみとともに、疲れが私たち全員をおそいました。サウンドチェックを済ませホテルに戻り、ライヴ前にもう少し睡眠をとることにしました。でも45分ではもちろん足りません…。私たちはレストランでもある、ライブハウス9 Clubに入りました。そこでまさに起きていたこと:食事です!人々は食事をとっていました。でもバンドがステージに上がるというアナウンスがされてすぐ、みんな急いでステージの前へと集まって来たのです。それは今まであまり見たことのない光景でした。誰もが最前列に行こうとしていたのです!そのためか…この夜のライヴは完全にクレイジーでした!言語の壁は大きいかもしれません。私たちは中国語を一言も話せないし、人々も英語をほとんど話しません。でもこの夜は、そんなことは何の問題でもありませんでした。音楽が言葉であり、感情を伝えるのに言葉は必要ありませんでした!

Hangzhouからの長距離移動を経て、私たちはWuhanに到着しました。ここに戻って来れて嬉しいです。駅から、滞在していたホテル(ベストな場所とは言えません!)、そしてVoxライヴハウスへ続く道まで、全てを覚えていました。Voxのオーナーは、3年前私たちを歓迎してくれた人と同じで、彼は私たちに会えることをとっても楽しみにしていてくれました。私たちのようなバンドはこれまで見たことがないと言っていたオーナーです。こんなに激しくて、バンドのためにこんなに熱く燃えている観客を見たのも初めてだと言っていました。中国人は静かにライヴを見ることで知られているのです。バンドがまたVoxでライヴするという発表をしたときの反応も驚くべきものでした。3年前の私たちを覚えていて、バンドの存在はその時から広まっていました!この夜はちょうど違う場所でStrawberry Festivalというのが開かれていましたが、ライヴハウスは人で満杯で、多くの人がバンドを見に休暇を取り、数時間かけて電車で来てくれた人もいました…Strawberry Festivalを諦めてでも…“君たちが今度いつ帰ってくるか分からないけど、Strawberry Festivalはまた来年も開かれるって分かってるから”!

そして再び、観客はクレイジーでした!“A View From Within”が始まってすぐ、拍手喝采。その後の夜はどんどん激しさを増していきました。バンドが激しくなればなるほど、観客もどんどん激しさを増し、それが更にバンドをクレイジーにしていきました。数えきれない人がステージダイブし、アレックスもファンも然り、フロア中でヘッドバンギングしてる人がいて、再びビールの洗礼、アレックスはライヴの半分以上観客の中にいて、観客もステージの上で過ごしました…本当に特別な瞬間でした。ここでの話を知っている人、ここはアレックスが2階のバルコニーから飛び降りたのと同じ場所です…そして今夜もそれが起こりました。今回は2回も!このライヴでツアーの前半戦が終了します…とっても記憶に残るような時間だったと言えるでしょう!Wuhanは私たちの心に刻み込まれています。そして、この町とのラブストーリーは、全く新しいレベルのパッションへと到達しました!

– Stephanie