Your Favorite Enemies: 激ロック

Written by Your Favorite Enemies. Posted in インタビュー

この9月から10月にかけて、3度目となる来日ツアーを実現させたカナダのオルタナ・ロック・バンド、YOUR FAVORITE ENEMIES(以下YFE)にインタビュー。2006年の結成以来、貫き通しているDIY精神に基づいた活動や日本デビュー作となった『Between Illness And Migration』に込められた想いを聞いた。

Alex(以下A):日曜日にもかかわらず、わざわざ来てもらってありがとう。yfe_gekirock_02

-いえいえ、こちらこそ忙しい中、時間を作っていただいてありがとうございます。スチールやビデオの撮影を担当しているスタッフを含め、カナダからは総勢何人でいらっしゃったんですか?

A:12人だよ。

-12人! すごい。なかなかそんなに大人数で来日するバンドもいないですよ。

A:ね。サーカスみたいだろ(笑)。

-12人もいると、みんなをまとめるのは大変ではないですか?

yfe_gekirock_03 Ben(以下B):そうだね!



A:あぁ、問題児が何人かいるからなぁ(笑)。日本の人たちを見習って、礼儀を身につけたほうがいいよね。



B:あははは。

-時たま何人か行方不明になったりするんですか(笑)?

A:いやいや、そんなことはないよ。メンバーそれぞれにきちっと果たさないといけない役割があるし、ライヴをやったり、ファンのみんなとあったり忙しいから悪さをする時間なんてないんだ。みんなで和気藹々と楽しくやっているよ。メンバーはもちろん、フォトグラファーのStephanieとか、日本のスタッフのKosho、Momokaとかもみんな仲がいい。それに僕らはファンのみんなともとても近しい関係にある。ファンのみんなが僕らに会えるのを楽しみにしているように僕らも日本についてからずっとエキサイトしっぱなしなんだ。僕らは僕らのバンドを、ファンも含め1つのコミュニティだと考えている。そういう意味では、サーカスと言うよりは、大家族の大移動と言ったほうがいいかもしれないな。まぁ、そうは言っても、時々、クレイジーなことにもなるけどね(笑)。

-今、コミュニティという話が出ましたけど、日本のファンが今回の来日ツアーをサポートしていると聞きました。日本のファンとはいつどんなふうに出会い、そういう関係を築いていったんですか?

A:2006年だったと思う。ネットでバンドの音楽をシェアしはじめたとき、日本のファンとはオンラインで出会ったんだ。元々、僕らはファンとは近しい関係を持つタイプのバンドだったから、日本とのファンともあっという間に友達のような関係になった。自然の成り行きだったよ。エンターテイナーとファンと言うよりももっと深い、社会的な問題とか個人的な悩みとかもシェアしあえる関係になっていったんだ。いろいろなメッセージを交換しあう中で、日本の若い人たちは本当に素晴らしいということを感じる一方で、絶望や悩みを抱えている世代であるということも知って、彼らのために何かしたいとも思うようになった。今回の来日も含め、ライヴのプロジェクトはすべて、そういう想いの延長にあるんだ。彼らを通して、日本のことを知ることができたから、日本に来るずっと前から日本のことは大好きだったんだ。

-海外のバンドの多くがいろいろな国のファンと堅い絆で結ばれた関係を築きたいと思いながら、なかなか実現できないでいるんだけど、みなさんはそういう関係を作り上げることができた。それはやはりファンとのコミュニケーションに対して、他のバンドよりも熱心に取り組んできたからなんでしょうか?

A:そもそもファンベースを作りたいなんていう願望がなかったからじゃないかな。僕らは常に友達、そして家族になろうとしてきた。自分たちのキャリアの成功のためにファンベースを広げていきたいという下心は全然ないんだ。みんなと同じ立場で話をしてきただけなんだよ。

-同じ立場で、ですか?

A:ああ、たとえば僕らだって、いつまでバンドを続けていけるんだろうかと将来のことを考えて、不安になってしまうこともある。つまり、生きていくことが不安で、怖くてしかたがないという意味では、みんなと同じなんだよ。5年後にはメジャー・レーベルと契約して、大スターになるぞなんて大それた計画を持って、バンドを始めたわけじゃない。僕らはみんなと変わらない若者としてここにいる。ファンと僕らを結びつける架け橋になったのが音楽であることはまちがいないけど、僕らが考えていた計画らしい計画と言ったら、みんなとのコネクションをクリエイトすることとコミュニティとして1つになって、みんなで成長していくことぐらいだな。戦略とか分析とかとは無縁のアプローチで、ここまでやってきたんだ。人生をみんなでシェアしながらサポートしあいたいという気持ちとともにね。スタッフもファンも僕のことをAlexと呼ぶ。僕もみんなのことをファースト・ネームで呼ぶ。それは普通の人たちと何ら変わらない。そういう人間関係が成功の秘訣なんじゃないかな。

-なるほど。DIYでの活動に限界を感じることはない?という質問も考えていたんですけど、それはないというわけですね。

A:友情はかけがえのないギフトだと思うし、それを誰かから受け取った時はうれしいと思うと同時に本当に光栄なことだと思って、大事にしていこうと考えている。日本のファンが僕のことを友達とか兄貴とか弟とかと言ってくれるのがホントうれしいんだ。音楽が架け橋だったと言ったけど、そういう関係性がある時、音楽とかネットとか、ファンと僕らを繋いでいるツールを越えた瞬間があったんだ。それ以降は本当の関係を作れてると感じているし、同時に自分たちはミュージシャンとしても成長しているとも感じている。もちろん、僕らはさまざまな失敗や過ちもしてきた。でも、愛は慈悲深く、そして辛抱強くあってくれるもので、がんばっていれば、愛は過ちをカヴァーしてまた先に進む力を与えてくれる。僕らがやっていることは、そんな美しいラヴ・パンクの物語なんじゃないかな。ラヴ・パンクなんて今作った言葉だから、そんなものがあるかどうかわからないけどね(笑)。

-ところで、今回の来日ツアーはいかがでしたか?

A:素晴らしかったよ。グレートの一言に尽きるね。大事に思っている親愛なる人たちとついに出会える場面がいくつもあったんだからね。光栄だったし、うれしかった。ホームタウンでやるライヴが最も難しいって多くのミュージシャンが言うけど、僕らにとって、日本でやるライヴはどこに行ってもホームタウン・ライヴみたいなものなんだ。毎晩、違う感動の嵐が吹き荒れたよ。たとえ同じ曲でもインプロをたっぷり盛りこんだし、その場その場の雰囲気に合わせて、楽曲を作り上げていったしね。あっという間に過ぎてしまって、僕たちの1つのチャプターが終わってしまったなんてちょっと信じられないと言うか、なんだか寂しいよね。今回は、自分たちでヴァンを運転しながらツアーしたんだ。だから、いろいろなところに立ち寄って、ライヴに来られない人たちとも会うことができた。いろいろな出会いがあったよ。毎日がパーティーみたいで楽しかったな。

-京都かな大阪かな、どちらかわからないんですけど、お寺に泊まったんですか?

A:そう! Koshoの実家がお寺なんだ。KoshoもMomokaも元々はファンだったんだ。2008年とか2010年とかの来日で出会ったんだけど、Koshoは今、ビデオの撮影を担当してくれてるし、Momokaはコーディネートとか翻訳とかをやってくれている。僕たちがコミュニティとして、どんなふうに成長してきたかを知ってもらういい例だと思うんだけど、そういうわけで、Koshoの実家であるお寺に泊めてもらったうえにライヴもやらせてもらったんだ! アコースティック・セットだけではなく、エレキ編成のライヴを歴史あるお寺でやらせてもらうというすごく貴重な体験をさせてもらったよ。ライヴをやるとき、靴を脱いだのは初めて経験だった。なんてパンクなんだと思ったよ(笑)。

-みなさんにとってもファンにとっても貴重な体験になりましたね。

A:ああ、珍しい体験をさせてもらって、とても光栄だったよ。実は住職であるKoshoのお父さんが1番ロックしてたんだ。その姿を見るのが何よりもうれしかった。文化的に新しい1ページを開いたんじゃないかな(笑)。

-お寺ならではの体験もできたんですか?

A:お寺にいるって事実や、そういう環境に身を置いているという経験そのものが自分たちの人生を反映していると言うか、自分たちの人生を改めて考えさせられたと言うか、そこで過ごす時間、そこで行うことすべてがいろいろな角度からスピリチュアルな刺激となって、自分たちに降りかかってきたんだ。単にバンドとファンという関係に止まらない、自分たちがこれまで育んできた親しい関係がこんなふうに実を結んだんだと思うと感激も一入だったよ。だって、クレイジーなことばかりやってきた僕らがこんなところまで来られたんだ。朝、目を覚ますとお寺にいる。それだけで楽しいと思えたね。経験っていうのは周囲の環境によって形作られることがあると思うんだけど、どんな形にせよ、自分たちがいつも思うのは、生きていることは命のセレブレーションだってこと。命って素晴らしいよねってことを、毎日、僕たちに教えてくれるのがそういう経験の積み重ねなんだけど、日本に来るといつもそのことを実感させられるんだ。

-ところで、メンバー全員が顔を揃えているので、メンバーひとりひとりのことも教えてもらいたいんです。

A:いいね!

-ただ、時間の都合上、ひとりひとりにつっこんだ話は聞けないので、それぞれに初めて行ったコンサートが誰のコンサートだったかを教えてください。では、Benからどうぞ。

B:デス・メタルのCRYPTOPSY。

A:とてもメロウなバンドだよな(笑)。

B:そう、とてもスウィートなね(笑)。

-それはつまりBenの音楽的なバックボーンがデス・メタルってこと?

B:まぁ、そういうことになるかな。

-それは何歳の時だったんですか?

B:17歳。本当は年齢的に入れなかったんだけど、ズルして潜りこんだんだ(笑)。

-ほぉ(笑)。Sefは? yfe_gekirock_04

Sef(以下S):METALLICAの『Black Album』の時のコンサートだったよ。

-それは何歳の時でしたか?

S:16歳の時だったね。ちょうどギターを弾きはじめた頃だったな。

A:SefとBenは兄弟なんだよ。

-あ、そうなんですか。ということはSefがお兄さん?

S:そう。

-じゃあ、BenはSefにいろいろなコンサートに連れていってもらったんですか?

B:いんや。

S:今は仲がいいけど、昔は全然つきあいがなかったんだ。

B:兄貴はデス・メタルが好きじゃなかったからね。

S:だね。当時はBenが聴いている音楽はノイズだと思ってたから(笑)。俺はIRON MAIDENとかTESTAMENTとかが好きだったんだ。

yfe_gekirock_05-では、Isabelさん。

Miss Isabel(以下M):16歳か17歳の頃だったと思うんだけど、モントリオールで見たCOUNTING CROWSのコンサートが最初だった。なぜ覚えているかと言うと、この中の何人かと、すでにYFEの前身バンドをやっていて、COUNTING CROWSのコンサートを見たその足でカナダの西海岸にあるエドモントンでライヴをやるため、44時間ドライヴしていったのよ。

-44時間ですか?!

M:2人の運転手が交代しながらノンストップでドライヴしていって44時間。そのバンドは7人編成だったんだけど、1台のヴァンに機材をすべて積んでギュウギュウ詰めになってカナダの端から端まで行ったのよ。もっとも、そういうクレイジーな体験は今でも変わらないけど(笑)。 

-女性ひとりで大変だったんじゃないですか?

M:その頃はキーボード担当の女の子がもうひとりいたのよ。でも、今は省エネで歌からキーボードまで全部ひとりでやらされてるわ(笑)。

A:そういうクレイジーな世界で生き残れたのが彼女ひとりだったってわけさ(笑)。

-Moose さんは? yfe_gekirock_06

Charles(以下C):PINK FLOYD。16歳だったよ。

-いつ頃のPINK FLOYDですか?

C:『The Division Bell』の頃だから……。

A:1994年だよね。

C:6万人を集めた3夜連続のスタジアム・コンサートの3日目に行ったんだ。

-へぇ。PINK FLOYDが好きなんですか?

C:そうだね。PINK FLOYDとかGENESISとかプログレッシヴ・ロックが好きだね。もちろん、カナダが誇るRUSHもね。

A:彼はとても洗練されてるからね(笑)。唯一、ちゃんとした音楽教育を受けたメンバーなんだ。大学の学位も持ってるんだぜ。申し訳ないよ。でも、(SEX PISTOLSの)John Lydonだって音楽を勉強するために学校に行ったわけじゃないからね。

yfe_gekirock_07Jeff(以下J):Mooseの後だと言いづらいな。なんたって16才の時に行ったPENNYWISEが俺の初めてのコンサートだからね。

-PENNYWISEと言えば、ヴォーカリストのJim Lindbergが一度抜けたあと、また戻ってきたごたごたについてはどう思いますか?

A:あれには泣けたよな。

J:(日本語で)泣キタクナーイ。最初、彼らのファンになった理由は反社会的なところや政治的な主張だったんだけど、Jimがそれに反動するような形でバンドを出ていったにもかかわらず、また戻ってきたんだからね。同じバンドとは思えなかったよ。その頃から彼らのことはちょっとね……。

-Alexは?

A:地元のバンドをたくさん見ていたけど、プロフェッショナルなバンドという意味では、ニューヨークからやってきたRAMONESだね。15歳か16歳の時だった。人生を変えられたね。舞台と客席の間に境界線はないと初めて思えたコンサートだった。パワフルで、 ラウドで、ファストで素晴らしかったよ。あれが本当の意味でヘヴィって言うんだ。客が興奮して、会場の座席を取り外して、大暴れしはじめたんだよ。中には座席に座ったままボディ・サーフィンで運ばれる人もいてね。とにかくクレイジーだった。今、自分がライヴでクレイジーなことをやってしまうのは、あのRAMONESのコンサートが原体験としてあるからかもしれない。音楽によって、自由に解き放たれるという体験を、それまでにないレベルでできた夜だった。大騒ぎしながら赤の他人と抱きあい、目の前にある一瞬が永遠に変わっていくさまを目の当たりにしたんだ。そのコンサートに行ったという人たちはいまだに、あの夜はすごかったという話をあちこちでしているよ。RAMONESが1番、脂が乗っていた時期だったんじゃないかな。それを生々しく感じることができたコンサートだった。RAMONESについて語るといつも時間がなくなってしまうんだ。それほど僕にとって、彼らはすごい存在なんだよ。
-初めてコンサートに行ったバンドから1番、影響を受けているとは限りませんけど、バックグラウンドにある音楽はみなさんバラバラのようですね?

A:そうだね。

-YFEとして曲を作るうえで、全員の意見やアイディアをまとめるのが大変ってことはありませんか?

A:時にはね。ただ、音楽って魂や自分の人生にとって、すごく大切なものだから、曲を作るとき、どうしようかなんて作戦を立てる必要はないんだよ。僕らの中から溢れ出てくるものが自然であれば自然であるほど、純粋なものになると信じてるから、曲を作るときは変に考えたりしないんだ。

S:同時に全然違う好みのメンバーが集まっているからこそできる新しい発見もあるしね。俺はどちらかと言うと、自分の世界に閉じこもって音楽を聴いてきたタイプの人間だから、他のメンバーによって新しいバンドに目を向けることも多い。そこからの影響を取り入れて、自分の持ち味と合わせることができたらバンドにとってもいいよね。未知の音楽から影響されたからって自分らしさを失うとは思わないよ。むしろ、たとえ失ったとしても新しいことに挑戦したとき、ミュージシャンとして成長できるんじゃないかな。

-たとえば、どんなバンドを他のメンバーから教えてもらったんですか?

S:SONIC YOUTHをAlexから聴かせてもらった時の衝撃は忘れられないね。彼らの音楽にはヘヴィ・メタルの世界にはないテンションやカオスがあった。まるで重力すらない世界にひきずりこまれたような感覚を味わったよ。あの時は目の前に新たな世界が一気に広がったね。それとWILCOのギタリスト、Nels Clineだな。テクニックとパッション、そしてカオスをバランスよく、しかもメロディを失わずに取り入れているギター・プレイには刺激された。大好きなギタリストだよ。

-では、そろそろ時間なので、最後に今後の活動予定を教えてください。

yfe_gekirock_08A:日本では今年3月にリリースされた『Between Illness And Migration』がこれからイギリス、フランス、カナダで順次、リリースされるんだ。国によって、ヴァージョンが若干違うんだけど、リリース後は各国を回って、それぞれのヴァージョンをファンとシェアしたいね。大好きな仲間たちと大好きな音楽をやれるだけでホント幸せなんだけど、僕らをサポートしてくれるみんなにありがとうという気持ちも込めて、アルバムを紹介して回れるのはうれしいよ。来年はすごく忙しい年になると思う。感謝の気持ちでいっぱいだよ。最後に1つ付け加えたいんだけど、『Between Illness And Migration』の日本ヴァージョンには特別な想いが込められているんだ。というのは、このアルバムは、日本のある女性との約束を果たすために作ったアルバムなんだ。彼女はうつ病に苦しんだすえ、自ら命を絶ってしまった僕らの友人のお母さんなんだけど、Jeffと僕を東京にある40階建てのビルの屋上に連れていって、僕らの目を見ながらこう言ったんだ。“ここから見える東京の景色を見て。ここには私の息子みたいな子供がたくさんいる。あなたたちが彼らのために何かしたいと思っている気持ちはとてもうれしい。ぜひそうしてちょうだい”。『Between Illness And Migration』はその約束から生まれたアルバムなんだ。結果としてできたものはアートであり、音楽ではあるんだけど、そこに込められた想いはとても生々しい、僕の魂に突き刺さったものなんだ。彼女が僕の目を見ながら言った言葉は、何回、RAMONESのコンサートに行っても得られない、それとは全然違う衝撃を僕に与えた。そのことを最後にどうしても伝えておきたかったんだ。

オリジナルレビューを読む

Tags: , ,

Leave a comment