大惨事がミラクルに変わるとき

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始まりは大惨事でした。本当の。午後2時頃、ドラモンビルからケベックシティへと移動中、今回のライブ会場であるはずだったThèâtre Petit Champlainに全く電気が通っていないことを知りました。去年の8月から告知をし、カナダ全国だけでなく、アメリカ、フランス、ドイツ、日本やオーストリラリアの世界中から、人が集まったライブでした。長距離電車、フライト、ホテルでの宿泊…そのワクワク感はいつもとは比べものにならないくらいです。なのに、ライブがキャンセルになったと伝えなければならないのでしょうか?そんなことはできません。バンドはティム・ホートンズに立ち寄りました。こんな時は、どこへ行ったって心が晴れないものです。喉を潤すためというよりも、そうする必要があったのでコーヒーを頼み、テーブルに座って、自分たちに何ができるかを分析しました。自分たちにできることは、そう多くありませんでした。違うライブハウスを借りたかったのですが、それは不可能でした。ライブをキャンセルせざるを得なくなった場合、他のライブハウスでも演奏はできないという条項があったのです。どこか皆で集まれるような部屋を借りようかとも思いましたが、古いケベックの街では全てが小さく、今夜来る予定だった300人ほどの人数が一度に集まるのは無理がありました。そこで、アレックスは突拍子もないアイディアを思いついたのです。YFEが所有する教会でライブをすること。でもライブができるくらいパワフルなスピーカーがありません。なのでレンタルすることにしました。皆は移動のための車を持っていません。ケベックシティからドラモンビルまで、行き帰りができるようバスをレンタルすることにしました。でも、やっぱりめちゃくちゃなアイディアです!時間までに全てを準備できるでしょうか?どこで皆をバスに乗せたら良いでしょうか?ライブをすることを内緒にしながら、どうやって皆に情報を伝えたら良いでしょうか?私は何をしたらいいか、何を考えるべきか分かりませんでした。というのも、私たちの教会に人を集めてライブをすることは、いつかやりたいと願っていたことです。5年前に教会を購入したときから、私たちが抱いていたヴィジョンでした。マージョは、”今夜、運転手付きの大型バス”をレンタルするために、バス会社に電話をし始めました。ベンは、”今夜、スピーカーを家まで届けてくれる(閉店までに取りに行くのは無理だったので)ところ”を探して、ミュージックストアに電話をし始めました。無茶苦茶です。ライブから数日経った今でも、無茶苦茶だったと感じます。私たちは家にいた人たちに電話をして、準備を頼みました:皆へのドリンク、クロークルームの設置、皆がブーツを脱げる場所の確保など。そして、一部のバンドメンバーとクルーが家へと戻る中、ジェフ、ミス・イザベル、マージョと私はケベックシティへ行きました。ライブ前に集まる予定だったレストランにて、ライブのキャンセルを伝えるために…。でも心の中では、誰も予想していないだろう方法で皆を驚かせることができると、ワクワクしていました。私たちは軽く挨拶を済まし、ジェフがアナウンスをしました。このニュースに多くの人ががっかりしました。遠く飛行機に乗って来た人たちや、家から長時間かけて移動してきた人たちは、メール等にアクセスができなかったため、この時まで全く知らなかったのです。みんな信じられませんでした。信じたくありませんでした。どこかに隠しカメラがあって、冗談を言っているんだと思ったくらいでした。でも、真剣なままのジェフの顔を見て、皆それが冗談ではないことを知りました。そこで爆弾を落としたのです。”でも!僕らは大型バスをレンタルしたから、それに乗ってYFE本部のあるドラモンビルへ行き、そこでライブを決行するよ!” 拍手喝采にヒュ〜と言う口笛、私はみんなが泣くんじゃないかと思いました。このニュースで部屋の空気は一気に活気溢れるものに!それがどれだけ魔法のようになるのか、この時はまだ知りませんでした。私たちはバスに乗り、モントリオールへとバスを走らせました。

移動中、私は家で全てを準備していた人たちから、たくさんのテキストメッセージを受け取りました。皆がどんなリアクションをしたのか、何を話しているのか、全部うまくいっているか…そうして、私はあるテキストを受け取ったのです。”今からやろうとしてることは自殺行為だ” そして私はまた不安になりました。今夜自分たちの望むように本当にできるんだろうか。あらゆることに対抗している気がする…。だって、ここ数週間で、セフはサッカーボールを受け取ったときに小指を折り、そのせいでライブをキャンセルすべきかと考えたくらいだし、そしたら当日になって地下爆発のせいでライブハウスの電力が全てカットされてしまったし…。ここのライブハウスがショーをキャンセルしたのは、50年ぶりだそうです。50年ですよ!何でそれが私たちのライブなんでしょうか?このライブは起こるべきではないのかも?ただおとなしく、楽しくみんなと時間を過ごすだけにした方がいいのかもしれない。でも、せっかく機材も、バスもレンタルしたのに?ライブのキャンセルが知らされたときの、ジェフの怒りようを思い出しました。”みんな音楽のために来たんだ。どこへ行っても経験できないようなこの交流のために。だから僕らは音楽を届ける。それ以外にない。わかったか?” ジェフの言葉が、どんどん不安になっていく私の頭の中で響いていました。そして私はiPhoneから目をそらし顔をあげ、バスの中にいるみんなを見渡しました。数分前まではお互いを全く知らなかった人たちが、今では長年の友人かのように楽しく話している、この興奮。それは直接、音楽の力によるものではありませんが、彼らの間には音楽という架け橋が存在します…そうして私はもう疑うのを止めました。今日は、YFE本部で演奏される音楽を通して、さらなる奇跡が待っていると信じました!

家に着き、急いで中に入りました。私はある重要なものをまだ手に持っていたのですー今夜のセットリスト 😉 下へ行き、ブーツを脱いで、今夜ライブが行われる教会の大広間、Upper Roomへと向かいました。そして、その光景に私は言葉をなくし、涙が溢れてきました。そうです。今夜は絶対に奇跡を見るに違いない!そう確信しました!

午後11時、私はマイクを握って、バンドを紹介しました。今夜のことは内緒にしていてほしいことと、ライブ中はカメラや携帯をカバンの中に閉まってほしいこと。今夜、この瞬間は彼らのためでした。カメラを通してではなく、音楽を最大限に感じて欲しかったのです。フィルターなしに、ありのままの瞬間を体感し、その瞬間が導く解放を感じて欲しかったのです。いつもライブ会場で音楽を楽しむような方法とは違うかたちで、思い切り音楽を体験して欲しいと思ったからでした。

そして何というライブだったんでしょうか。そこは教会ではなく、ある一つの世界そのものでした。個々にライブを見ているのではなく、皆で一体となっていました。まるで時間が止まったかのよう。あの瞬間には、この特別な交流以外、何も存在していないかのようでした。まるで他に大事なことなど何一つないかのように。クラウドの外から写真を撮っていた私にとって、その光景はまるで映画のようでした。こんなことが実際に起こるなんて有り得ない。これが本物だなんて有り得ない。そして、“From The City To The Ocean”の曲中、カメラを通してではなく、自分の目でその光景を見たとき、こう感じずにはいられませんでした。”この雰囲気、この空気、今この場で起きていること…これこそ、私が今もここにいる理由。今の私をつくっているもの。今ここで起きていることがまさに私が生きている理由。生きているとはどんな感覚かを知っている理由。そして、だからこそ私が海から街へと歩き出した理由。憂いと変遷を旅し始めた理由。” この夜この場にいられたことへの感謝で、だんだんと涙が目に浮かんできたとき、私は皆さんのことを想いました。私たちの物語がどれだけ普通じゃないものか。どれだけ奇妙な出来事によって、私たちが互いと出会い、知り合い、家族や兄弟、姉妹と呼ぶのを妨げたか。私たちを互いに一つにしたのは音楽ではありません。偶然じゃないんです。そんなものよりも、もっと素晴らしいもの。一生かかっても理解できないだろうことであり、理解する必要もないこと。それこそ、私たちが受け取れる最も美しい贈り物じゃないかと思うのです。そこに理解は必要ない。ただシンプルに生きればいいだけ。そして時々、それを最大限に生きることは、自分たちの頭で考えていることと真逆のことだったりするんです。もしも、それが私の印象だけだったとしたら、私は今ここにおらず、誰とも出会っていなかったでしょう。そして、私は今夜の奇跡が、全員をYFE本部に連れてライブをすることではないことに気づきました。本当の奇跡は、私たち全員が一緒にいたこと。バンドメンバー、YFE本部で一緒に生活をしている私たち、そして私たちと一緒にいたあなた。あの夜起きた本当の奇跡は、私たちです。きっと、あの夜、何が起ころうとも、何を感じようとも、何を経験しようとも、そう感じることができたでしょう。そして、これは何か新しいものへの始まりにすぎないのです…

熟睡とは呼べない、寝不足気味な夜を経て、翌日はまたケベックシティへ向かい、来てくれた人たちと一緒にブランチを楽しみました。みんな疲れ切っていたはずですが、それでもその疲れを誰からも感じませんでした。反対に、みんなの笑顔や笑い声が響いていました。いつものように、食事はあまり重要でないんですね。この時間はみんなで一緒に過ごすことについてでした…写真を撮り、アルバムや本にサインをしたり、前夜行ったライブについて話したり、今後起こりうることについて話したり、私たちのパッションや恐れなどについても…何のフィルターもなしに、互いに正直に会話をしました。このブランチは2時間の予定でしたが、結局その2倍の時間を過ごしました。太陽が沈みかけていなかったら、そして古いケベックの街を歩きたいという希望がなければ、まだまだ喋り続けていたと思います!結局、私たちにとっては全てが始まりに過ぎないのです…

そして最後に、こんな夢のように素晴らしい週末を過ごしたあと、現実を最大限に経験することは自分が夢見るどんなものよりも素晴らしく、人生で直面するいかなる惨事も最高の出来事に変えることができると確信を持って言えると思います…

NEW YORK, 夢の街…

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ニューヨークまでの移動は快適でした。荷物は少なめにするよう言われていましたが、結局重くなってしまったというか…最後に身軽に旅をしたのがいつだか覚えていません。Your Favorite Enemiesにはその方法が全く分からないんです!アレックスが靴下や靴を何足持っていったと思いますか?当ててみて下さい…!スーツケースや枕などで窮屈になりながらも、移動中は素晴らしい時間を過ごしました。息を飲むように美しい秋の景色。特にニューヨークではちょうど紅葉が始まったばかりでした…

滞在先に着いて荷物を家に入れたあと、すぐさま向かった先はタイムズスクエア。ニューヨークでの夜を、他にどこで始めろと言うんでしょうか?私たちの多くにとって、タイムズスクエア初体験でした…私は既に何度もここを訪れていますが、その感動はいつだって新鮮です。ニューヨークが世界でも有名な街であるにはそれなりの理由があり、だからこそ“The Empire State”と呼ばれているのです。まさにその名にふさわしい場所!

そして翌日。ライヴの日です。初めてのニューヨークライヴ…ジェフが長いこと願っていたものです。ビジネス全般を担っているジェフは、いつかここでライヴをする時は、バンドにとって完璧な時だと信じてきました。私たちは直前で変更になったライヴハウスに到着しましたが、そこは予想以上に小さい場所でした。ステージはなく、バンドの演奏はフロアで。問題なし!だってどうせ毎回フロアでライヴを終えるんですから!ステージの中心ですか?そこにはハグするのも無理なくらい大きな柱が立っていました。アレックスとセフのちょうど真ん中に。今まで見た中で一番不思議な光景でしょう。まぁでも、ニューヨークだし。パンクロック誕生の地でもあるので、アレックスもこう言っていました:“部屋の雰囲気からして、今夜はかなりパンクロックになる…僕の大好きな感じだ…クールなフリしてただ演奏を傍観するなんて、絶対にできないよ…狭くて、小汚くて、ありのまま…”!

そして、どうだったと思いますか?まさにアレックスが言ったような夜になったんです!完全にパンクロック!ドラムをクラウドの中に運ぶパフォーマンスはありませんでしたが、アレックスはクラウドサーフィンをし、今まで見たことないようなことをやってのけたのです:彼は天井を歩いていました!逆さまになったアレックスを皆が抱きかかえ、アレックスの足は天井を歩いていたのです!

何という瞬間だったんでしょうか。本当に、言葉になりません。たくさんの人たちがバンドを見にニューヨークまで来てくれました。よく知っている人たち、サプライズで来てくれた人たち、また初めて会った人や、もう何年も会っていなかったけれど、とても大切な思い出を共有した人たち…一つだけいつもと同じだったこと、それは来てくれた人たちとライヴ後に話す時間をとったこと。これだけは逃せません。そして正直言って、この時間が最高の瞬間なんです!国も、年齢も、スタイルも全く違う、様々に異なる人々。でも一つでした。

みんなが集まって、これまでどうしていたか、そしてライヴについてや、今後の予定について話したり、夢やヴィジョンを分かち合っているのを見て、フランク・シナトラの有名な歌詞を思い出しました…“If I can make it there, I can make it anywhere”(そこで成功するなら、どこでも成功するはずさ)。でも何となく、いつもとは違った視点が生まれたのです。この歌詞は様々なタイプのサクセス(成功)について歌ってるんだと思っていました。有名になること。人気者になること。自分とは違う人間になること。でもこの夜、この歌詞は自分に真実でいることについてなんだと気づきました。全てが可能な街で、したいことができる街で、ありのままの自分になる。それが“making it”(成功すること)の本当の意味だと。そうなのだとしたら、今夜バンドは成功したと言えます。素晴らしく!

翌日、私たちはマンハッタンを少し観光することにしました。雨が降っていたので短い時間でしたけど。大勢でいる時には雨のニューヨークはそこまで興味深くないんです…と言うことにしておきましょう!セフのお気に入りのショップには確実に立ち寄りましたけどね。M&MストアとLEGOメガストア…!

その翌日は、とても静かな日でした…でもその分を土曜日にとっておきましたよ!私たちはニューヨークでも最も有名な観光地に行きました。自由の女神、ブルックリン・ブリッジ、そしてFinnerty’s。え?Finnerty’sを知りませんか?彼らはホームから離れたGiantsのホームだって言っていましたよ!そこでGiantsの試合を見たのです。そして彼らが言っていたことは本当でした!お店の外には列ができ、中にいる人たちは試合を見ながら、歌ったり、TVに向かって叫んだりしていました。夢みたいでしたよ。ニューヨークじゃないみたいでした。完全にサンフランシスコ!少なくとも、私が想像するサンフランシスコの試合の日でした!

そうして、Bla Bla Bla!今回はニューヨークからお送りする特別号でした。初めての試み!私が個人的にとっても楽しみにしていたものでもあります。何となく、Bla Bla Bla自体はそんなに特別ではありませんでした。いつもと違ったのはセットだけ!ヨーロッパツアー“Shadows of Dreams to Come”へと出発する前に行えるのは、この日だけでした。そしてBla Bla Blaを放送することは私たちにとって大事なことだったのです!この機会を逃すなんて選択肢はありませんでした。残念ながら、いつもと違う環境ということで、全てを完璧にコントロールすることができず、アンコールと仏語バージョンをキャンセルせざるを得なくなりました。それでも、放送はとっても楽しかったです!今後もまた挑戦すべきだと思いますね…!そう思いませんか? 😉

Bla Bla Blaの後、私たちはニューヨークの街を歩いて、滞在最後の日を楽しみました。ジェフがどうしても私たちに見せたい場所があるということで、向かった先はRough Trade Records。そしてその近くの公園を歩き、マンハッタンのスカイラインを楽しみました。その後は毎度同じみ、ニューヨークに来ると必ず向かうEatalyで食事をしました!ブルックリンへと戻るメトロに乗り、また公園へと戻って、今度はマンハッタンの夜のスカイラインを楽しみながら、乾杯しました…!もうすでに多くを持つニューヨークには、これ以上必要なものはないかもしれません。でも、私たちがこの眠らない街に運んだスピリットに及ぶものはありません。私たちが歩んでいる旅の、また一つの節目でした…!

Love you guys!
次のツアーでまたすぐに会えたら嬉しいです!
– Stephanie

モントリオール、あらゆる不思議のある街

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2年振りにモントリオールでライヴをしました…ここ2年間、ヨーロッパ、中国、台湾、日本、オーストラリアなどをツアーしてまわり、更には日本、オーストラリア、カナダでのアルバム『Between Illness And Migration』の発売、そしてこのアルバムに収録されている3曲のビデオクリップ撮影などに多くの時間を費やしてきました…息切れしそうですか?私たちもです!でも、このホームギグは私たち全員にとって、新鮮なそよ風のようで、頭と心の憩いの場所のように感じられました(体にとっては、あんまりだけど)!

私たちは皆この夜のライヴにオーバーなくらいワクワクしながら、午後ドラモンビルを出発しました!Club Sodaに到着し、そこで働くスタッフに会いました。すごく良い人たちでした!ロードインは午後6時頃から始まり、その後すぐに短いサウンドチェック。バンドメンバーが下の階にある控え室に向かったときには、もう人々が会場に入り始めていました!メンバーはストレッチをし、着替えをし、厳しい時間制限のあるライヴに関して少し話しをして、私はその夜のライヴハウスをソールドアウトした950人もの人混みの中で、ステージに近いスポットを見つけるために上の階に行きました。

私は知らない人たちや見たことのない人たちに囲まれながら、早く始まらないかとドキドキしながら待っていたのですが、そんな中、YFEを確実に知っていて、バンドのライヴを見るのをとても楽しみにしている人を見つけました!“マジだって、1回ライヴ見たことあるんだけどさ、シンガーはクレイジーで、常にそこら中ジャンプしまくって、長髪のギタリストは野獣みたいなんだ…コイツらはヤバイって!”という声が聞こえたんです。その通り!まさにステージ上でのYFEです!イントロが始まり、バンドメンバーがステージに現れました。薄暗い照明の中で見えるのは彼らの影だけ。まるで違う世界からのゴーストのよう… バンドは、セフがバイオリンの弓でギターを弾く“A View From Within”でショーをスタートしました…そして次々と演奏をし、とどまるところを知らぬような40分間のショーをオーディエンスと共有しました。そして、オーディエンスもまた、会場全体が揺れるようなヘッドバンギングでバンドを歓迎したのです!“Midnight’s Crashing”のときに、アレックスはクラウドへとジャンプし、そのまま会場の後ろの方までクラウドサーフィンして、ステージへと戻ってきました。また少し後に、クラウドの中を今度は歩きながら、人々をハグして、彼らのために、そして彼らと一緒に歌いました。セフの演奏に人々は叫び、彼がステージの際に立って近づく度に、彼らもどんどんセフの方へと近づいていきました!“Open Your Eyes”もすごく盛り上がりました。バンドを長く応援してくれている人にとっては、初期の曲です。言うまでもなく、この曲が始まってすぐ、ライヴハウスの熱は一気に上がりました!!バンドはライヴを終え、荷物を片付けはじめました。この2年間、なんでもっとモントリオールでライヴしなかったんだろうと不思議に思いながら!

そして今夜、最高のパート…みんなとの時間!この瞬間こそが、毎回のライヴの本当のギフトであり、特権です!皆さん、本当にどうもありがとう…この夜、私たちは空高く飛ぶことができました。それは皆さんのおかげです。思い切り楽しむというチャンスを掴み、私たちと一緒にこの瞬間を分かち合ってくれました!

また皆さんに会うのが、待ち遠しいです!

Stephanie

5年振りのケベックシティ

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ようやくこの日が来ました…!私たちはケベックシティへ出発します!このライヴをアナウンスしてから、あっという間に時間が過ぎました。まるで昨日のことみたいです!いつの間に時間が過ぎ去っていったんだろうと思いながらも、ライヴへのストレスはありません。何というか…みんなとても穏やかです。めったに見られないような穏やかさ…しかもフェスティバルでのライヴで、更に場所はケベック州なのに。というのも、ケベックやモントリオールでのライヴは、バンドのホームタウンギグのような感じがするので、そのストレスレベルは普段のライヴよりも高いのです。でも、今回は違いました。穏やか且つ幸福に満ちた感覚が始終、私たちを包んでいました…ケベックシティへは私たちの忠実なドライバーの運転で向かいました…!

目的地に辿り着くまで2時間かかりました…いつもはもっと短い時間で着きます!でもフェスティバルの敷地は広く、アーティストの出入り口を見つけるのに時間がかかったんです。バンドのサウンドチェック開始時間まであと数分のところで、ようやく辿り着きました…問題はありませんでしたけどね。というのも、フェスティバル側も準備が少し遅れていたんです…なので、私たちはストレスをあまり感じずに、全てを予定通りにセットアップすることができました!ステージは広かったです。とっても広かった!YFEのライヴにぴったりでした!ステージに上がるなりアレックスが一番初めにしたことは、どこから降りるのが一番簡単かをチェックすること…今夜のムード次第で観客側へと下りたときのために!サウンドチェックは早く終わりましたが、とてもスムーズにいきました。時間に余裕があって、もう何曲か演奏できたくらいです。そのつもりはなかったんですが、フェスティバル側のスタッフが時間を与えてくれたんです。バンドの音楽を楽しんでくれて、“もうちょっと聴いてても全然問題ないから”とのことでした…!

そして私たちはキャラバンへ戻り、SFCCファンクラブのインタビューを行いました。バックステージでこんな風にインタビューを行うのは初めてでした。そして、もちろん最後にもならないと思います! 😉 その後は少しリラックスして、軽食をとり、ライヴに向けてストレッチしました…そしてステージに立つ時間!

Oh my gosh! 何て素晴らしいライヴだったんでしょうか!私はバンドのライヴをほとんど全てフォローして来ましたが(2008年に一度見逃しただけです)、本当に彼らは毎回のライヴでどんどん良くなっていきます。今回も例外ではありませんでした。サウンドは最っ高でした!ラウドでクリア、そしてどんなにステージから遠くにいようと、ライヴを見ていた人たち全員の感性の奥深くまで、あのとどろきとノイズは響いたと思います!照明は、会場に響く一音一音に深みとパーソナリティを加えていました。そしてバンドメンバー…彼らは文字通りステージを支配しました!そしてクラウドも!アレックスは50分のパフォーマンスの中で、2回クラウドサーフィンをしたんです!また、アレックスは亡き父に曲を捧げ、人々はそれに携帯の光によって応えました…魔法のような眺めでした!ぜひ写真を見て下さい。そうすれば、このライヴがどんなに素晴らしかったかが、もっと良く分かると思います!そして、私たちを知ってますよね?皆さんと時間を過ごすのが大好きなんです!なので、ライヴ後はグッズ売り場の周りに集まって、みんなと話して、写真を撮って、サインをしたりしました。フェスティバルの警備員によって会場を追い出されるまで!可哀想な警備員の人…もう移動して下さいと、少なくとも4回は言いに来ました…!

そして、私たちは本当に皆さんと時間を過ごすのが大好きなので、翌日はみんなで朝食をとることにしました。全員を席に座らせるのが本当にチャレンジでした(そして全員が同時に座るわけではないのです)シンプルな瞬間でしたが、良い時間でした。本当にファミリーの再会のようでした。だって、そうですもんね!5月のトロントでのライヴ以来の人たちや、最後にケベックシティでライヴして以来の人たち、そして初めましての人たちもいました。でも、みんなもうずっと長いこと知っているかのように感じました。私たちは外へ行き写真を撮って、ケベックシティをみんなで散歩しました。冷たい飲み物と座る場所を求めて、スターバックスへと辿り着くまで…!

ベストパートは何かって?バンドは1月24日にケベックシティのLe Petit Champlainに戻ります!ライヴだけじゃありませんよ。週末いっぱいを皆さんと過ごします! チケットはもう販売中ですので、急いでゲットして下さいね!

みんな大好き!また会えるのを楽しみにしてます!

– Stephanie

台湾 Ho Hai Yan フェスティバル

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7月10日、午前2:30に家を出ました。また睡眠ゼロの夜。実際、SFCCメンバーとのリハーサル生中継が終わったあとからパッキングをし始め、更にこれから待ち受ける旅に乾杯をする時間も取ったんです!それが出発前の睡眠をゼロにすると分かっていましたが、この2つの瞬間はとても大事だったので、やらずにはいられませんでした!空港に着いて、私たちはそれぞれのフライトへと分かれました。みんなが同じ飛行機ではなかったのです!

バンドメンバーが最初に出発しました。トロントでの乗り換えのあと、予期していなかったバンクーバーに立ち寄り、東京で再び乗り換えをしましたが、1時間以上も遅れ、結局台湾に上陸したのは、バンドメンバーが最後でした。7月11日の午後10:00頃です。そう、家を出発してから32時間もの移動!しかし更に移動をし(これが最後!)ホテルへと向かいました!辺りは暗いながらも、首都を離れてすぐに、私たちを囲む山々の姿を見ることができました。山の裾野は家やお寺によって光が灯されています。そして曲がりくねった道のすぐ横には、海も見えました。深夜過ぎにFulongビーチに着きました。疲れ果てていましたが、ワクワクしていました!

ベッドに行った人もいたかもしれません。でも、私たちの場合は違うのです。機材を部屋に運んで、数人は外へ行き食料調達、そして残りはインターネット上にて、皆さんとこれまでの旅のニュースを分かち合っていました。私たちは食事をし、古いアメリカ映画を観て、外に出てみることにしました。プールを見つけ、しかも夜中だというのに、びっくりするくらいまだ暑くて湿気がありました。みんな水着に着替えたのですが、ロビーには人がいませんでした:午前2時に閉まるのですーそしてプールはそれよりも前に閉まっていました!あらら、残念。じゃあ、部屋に戻ろう。でも待って、小さな金属棒だけであのドアは本当にロックされてるの?あれって簡単にどかせるのかな?あ、できるっぽい!しかもあの中庭のドアはさっき見たプールに繋がってる?そう?どうやら、ベッドルームのすぐ横から、プールまでアクセスできそうだ!もう一度外に出て、海を眺めながらのプールの中で、私たちは乾杯することにしました。この国に来て初めての乾杯でした!

午前3:45、ベッドへ行く時間です。とても短い夜のあと、私は午前5:00に起き、海からの日の出を見るために外へ行きました!寝不足はもちろんでしたが、日の出を見れるのは2日間だけだったので、チャンスを逃したくなかったのです。日が昇りきって、私はホテルの周辺をぶらぶらしました。そこには小さな漁村。男性が小さな船で海へ行き、女性が陸に残って広大な庭の世話をする。私が歩くたびに、鶏の鳴き声がしました。まだ午前6:00にもなっていないのに、既に暑さと湿気がすごかったです!ここでは誰も英語を話しませんでしたが、みんなとても歓迎的でした。

目の前に広がる素晴らしい海の景色を見ながら、ホテルのレストランに集まり全員で朝食をとったあと、数人は台北へ行き、数時間町を観光することにしました。台北は、数カ所を除いて、低い建物が立ち並ぶ大都市です。他の建物の高さを考えると、2010年から町の中心に建つ世界で最も高いタワーは、驚くべきものです。少なくとも、101タワーは、周りにある全ての建物よりも一番目立っていると言えます。私たちは、他のアジアの町と同じように、人で溢れ返っている景色を想像していました。でも台北はびっくりするくらい広々としていました。私たちはたくさん歩きました。建物のほとんどは何の変哲もない普通のものでしたが、道行く人々において同じことは言えません。彼らはとてもカラフルで、フレンドリーで、社交的で、とても歓迎的で、明らかに迷っている外国人集団をいつでも手助けする準備ができていました!今日の台北観光の最後には、出会った人たちが口々に見るべきだと私たちに勧めてくれた、あるものを見ました:夜市です!そこに午後5:30頃行きました。が、そこまで感動はしませんでした…太陽が完全に沈むまでは。私たちの頭上にあったランタンが、既に人でごった返している夜市の道を照らしてくれ、より多くの売店を見つけました:肉、シーフード(生きてるのもありました!)、Tシャツからカラフルプリントのシャツやネクタイまで売るお店や、ペットショップ、魚の水槽、時計、ローカルな食事を提供するレストラン、そう豚の血プリンとか黒豆腐のマリネとか、かき氷とか。辺りが暗くなればなるほど、市場は栄えていきました。

私たちはホテルに戻り、その日1日を振り返りました。その日起きた出来事や、出会った人々、自分たちが見たものなど。午前2:00頃にベッドに行きました。午前4:45、数人が再び起きて(みんなを起こす大音量のアラームに感謝!)、日の出を見るためにビーチに向かいました。外に出て数分後、太陽がゆっくりと昇り始めたので、アレックスは中へ戻り、全員を叩き起こして、みんなで日の出を見ました。空は暗くありませんでしたが、雲がその邪魔をしていました…目に見えないものの証へと、私たちは乾杯しました。この日の太陽のように、私たちの目には映らない物事もありますが、それでもなお、本物です。

軽く朝食を済まし、サウンドチェックへと出発しました。もう、そんな時間!既に滞在1日目が去っていったことが、信じられないくらいでした!サウンドチェック自体の始まりは午前8:00からでした。私たちよりも先にサウンドチェックを終えたバンドの人たちは、最高に暑くなるから覚悟しておいた方がいいと言いました。午前10:30頃に会場に着きましたが、知らされたのはサウンドチェックが少し遅れるということだけ。その遅れのおかげで、ステージをよく確かめ、スタッフと話し、砂浜がどれだけ熱くなるかを体験し、ビーチにも行きました。そうして、ようやくサウンドチェックを始めました。ぴったり正午から。出番が日中でなくて良かったと心から思いました。サウンドチェックだけでも、十分辛かったんです…!

サウンドチェックの後すぐにホテルへ戻り、唯一可能なことをしました。プールに入ることです。すぐにでもリフレッシュしたかったんです!実際リフレッシュとはほど遠かったですが、巨大なアウトドアのお風呂に入ってる気分でした…言うまでもなく、そこにあまり長居はしませんでした!大半の人が短い昼寝をしに行き、午後6:00に再び集合して、最後のサウンドチェックをしました!

フェスティバル会場に着いて、そのものすごい数の人に感激しました!みんな砂浜に穴を掘って座り、そこから心地よくフェスティバルを見ていました。カードボードの箱を椅子代わりにしている人もいました。テントからフェスティバルを見ている人たちもいました…どんな光景を想像しようと、まさにそういうことが起きていたんです。疑いようもなく、それは砂浜でのフェスティバルでした!でも、そんなに長く居心地良く座ってはいませんでした。オーバーなくらいにエキサイトしてる女の子がバンドのアナウンスをし始めると、すぐに人々は立ち上がり、その日の素晴らしいパフォーマンスへの準備をしました。バンドメンバーがステージに上がり、そしてすぐに、オーディエンスに火がつきました!そして、それはYour Favorite Enemiesにとっても同じでした。曲ごとに、激しさが増していきました。ステージに立つ前にどれだけストレスや不安を感じていようと、まるで全てが溶けてなくなり、代わりにクレイジーさがその夜を占めていたかのようでした。アレックスが「From The City To The Ocean」の曲中に話したように、彼は前の週にお父さんを亡くし、このフェスティバルに参加することは彼にとって、完全に無茶なことでした。しかし、そんな状況でも、このフェスティバルに参加し、演奏し、全てを出し切ることは、アレックスにとって、とても大事なことだったのです。それは彼のお父さんとの約束でした。そして、このライヴで感じられたことは、まさに“完全なる解放”でした。ライヴの始まりから、アレックスはステージのフロント、サイドを走り回っていました…彼は本番前に、ステージからジャンプすることは止めてくれと言われていました。なので、ステージのサイドによじ登り、“she’s thinking of jumping”と歌いました…すると、その後すぐに、おそらくジャンプするだろうと考えたセキュリティーたちがそのエリアに侵入してきました。ステージ上を駆け回っていたにも関わらず、彼はいつもより脆く見えました。でも、それこそ、ありのままの自分でいるということなんだと思います。良いときも、悪いときも。そして、フェスティバルが生中継されていることに、何故彼があんなにも喜んでいたのか理解できます…彼は、この瞬間を特別な方法で皆さんと分かち合いたかったんです。何故なら皆さんこそが、日々私たちに勇気を与えてくれているから。皆さんのおかげで、新しい夜明けの色を見ることができているからです。

ライヴを見逃した皆さん、ここからまた観ることができます。バンドのパフォーマンスは 4:12:27 から始まります 😉