大惨事がミラクルに変わるとき
始まりは大惨事でした。本当の。午後2時頃、ドラモンビルからケベックシティへと移動中、今回のライブ会場であるはずだったThèâtre Petit Champlainに全く電気が通っていないことを知りました。去年の8月から告知をし、カナダ全国だけでなく、アメリカ、フランス、ドイツ、日本やオーストリラリアの世界中から、人が集まったライブでした。長距離電車、フライト、ホテルでの宿泊…そのワクワク感はいつもとは比べものにならないくらいです。なのに、ライブがキャンセルになったと伝えなければならないのでしょうか?そんなことはできません。バンドはティム・ホートンズに立ち寄りました。こんな時は、どこへ行ったって心が晴れないものです。喉を潤すためというよりも、そうする必要があったのでコーヒーを頼み、テーブルに座って、自分たちに何ができるかを分析しました。自分たちにできることは、そう多くありませんでした。違うライブハウスを借りたかったのですが、それは不可能でした。ライブをキャンセルせざるを得なくなった場合、他のライブハウスでも演奏はできないという条項があったのです。どこか皆で集まれるような部屋を借りようかとも思いましたが、古いケベックの街では全てが小さく、今夜来る予定だった300人ほどの人数が一度に集まるのは無理がありました。そこで、アレックスは突拍子もないアイディアを思いついたのです。YFEが所有する教会でライブをすること。でもライブができるくらいパワフルなスピーカーがありません。なのでレンタルすることにしました。皆は移動のための車を持っていません。ケベックシティからドラモンビルまで、行き帰りができるようバスをレンタルすることにしました。でも、やっぱりめちゃくちゃなアイディアです!時間までに全てを準備できるでしょうか?どこで皆をバスに乗せたら良いでしょうか?ライブをすることを内緒にしながら、どうやって皆に情報を伝えたら良いでしょうか?私は何をしたらいいか、何を考えるべきか分かりませんでした。というのも、私たちの教会に人を集めてライブをすることは、いつかやりたいと願っていたことです。5年前に教会を購入したときから、私たちが抱いていたヴィジョンでした。マージョは、”今夜、運転手付きの大型バス”をレンタルするために、バス会社に電話をし始めました。ベンは、”今夜、スピーカーを家まで届けてくれる(閉店までに取りに行くのは無理だったので)ところ”を探して、ミュージックストアに電話をし始めました。無茶苦茶です。ライブから数日経った今でも、無茶苦茶だったと感じます。私たちは家にいた人たちに電話をして、準備を頼みました:皆へのドリンク、クロークルームの設置、皆がブーツを脱げる場所の確保など。そして、一部のバンドメンバーとクルーが家へと戻る中、ジェフ、ミス・イザベル、マージョと私はケベックシティへ行きました。ライブ前に集まる予定だったレストランにて、ライブのキャンセルを伝えるために…。でも心の中では、誰も予想していないだろう方法で皆を驚かせることができると、ワクワクしていました。私たちは軽く挨拶を済まし、ジェフがアナウンスをしました。このニュースに多くの人ががっかりしました。遠く飛行機に乗って来た人たちや、家から長時間かけて移動してきた人たちは、メール等にアクセスができなかったため、この時まで全く知らなかったのです。みんな信じられませんでした。信じたくありませんでした。どこかに隠しカメラがあって、冗談を言っているんだと思ったくらいでした。でも、真剣なままのジェフの顔を見て、皆それが冗談ではないことを知りました。そこで爆弾を落としたのです。”でも!僕らは大型バスをレンタルしたから、それに乗ってYFE本部のあるドラモンビルへ行き、そこでライブを決行するよ!” 拍手喝采にヒュ〜と言う口笛、私はみんなが泣くんじゃないかと思いました。このニュースで部屋の空気は一気に活気溢れるものに!それがどれだけ魔法のようになるのか、この時はまだ知りませんでした。私たちはバスに乗り、モントリオールへとバスを走らせました。
移動中、私は家で全てを準備していた人たちから、たくさんのテキストメッセージを受け取りました。皆がどんなリアクションをしたのか、何を話しているのか、全部うまくいっているか…そうして、私はあるテキストを受け取ったのです。”今からやろうとしてることは自殺行為だ” そして私はまた不安になりました。今夜自分たちの望むように本当にできるんだろうか。あらゆることに対抗している気がする…。だって、ここ数週間で、セフはサッカーボールを受け取ったときに小指を折り、そのせいでライブをキャンセルすべきかと考えたくらいだし、そしたら当日になって地下爆発のせいでライブハウスの電力が全てカットされてしまったし…。ここのライブハウスがショーをキャンセルしたのは、50年ぶりだそうです。50年ですよ!何でそれが私たちのライブなんでしょうか?このライブは起こるべきではないのかも?ただおとなしく、楽しくみんなと時間を過ごすだけにした方がいいのかもしれない。でも、せっかく機材も、バスもレンタルしたのに?ライブのキャンセルが知らされたときの、ジェフの怒りようを思い出しました。”みんな音楽のために来たんだ。どこへ行っても経験できないようなこの交流のために。だから僕らは音楽を届ける。それ以外にない。わかったか?” ジェフの言葉が、どんどん不安になっていく私の頭の中で響いていました。そして私はiPhoneから目をそらし顔をあげ、バスの中にいるみんなを見渡しました。数分前まではお互いを全く知らなかった人たちが、今では長年の友人かのように楽しく話している、この興奮。それは直接、音楽の力によるものではありませんが、彼らの間には音楽という架け橋が存在します…そうして私はもう疑うのを止めました。今日は、YFE本部で演奏される音楽を通して、さらなる奇跡が待っていると信じました!
家に着き、急いで中に入りました。私はある重要なものをまだ手に持っていたのですー今夜のセットリスト 😉 下へ行き、ブーツを脱いで、今夜ライブが行われる教会の大広間、Upper Roomへと向かいました。そして、その光景に私は言葉をなくし、涙が溢れてきました。そうです。今夜は絶対に奇跡を見るに違いない!そう確信しました!
午後11時、私はマイクを握って、バンドを紹介しました。今夜のことは内緒にしていてほしいことと、ライブ中はカメラや携帯をカバンの中に閉まってほしいこと。今夜、この瞬間は彼らのためでした。カメラを通してではなく、音楽を最大限に感じて欲しかったのです。フィルターなしに、ありのままの瞬間を体感し、その瞬間が導く解放を感じて欲しかったのです。いつもライブ会場で音楽を楽しむような方法とは違うかたちで、思い切り音楽を体験して欲しいと思ったからでした。
そして何というライブだったんでしょうか。そこは教会ではなく、ある一つの世界そのものでした。個々にライブを見ているのではなく、皆で一体となっていました。まるで時間が止まったかのよう。あの瞬間には、この特別な交流以外、何も存在していないかのようでした。まるで他に大事なことなど何一つないかのように。クラウドの外から写真を撮っていた私にとって、その光景はまるで映画のようでした。こんなことが実際に起こるなんて有り得ない。これが本物だなんて有り得ない。そして、“From The City To The Ocean”の曲中、カメラを通してではなく、自分の目でその光景を見たとき、こう感じずにはいられませんでした。”この雰囲気、この空気、今この場で起きていること…これこそ、私が今もここにいる理由。今の私をつくっているもの。今ここで起きていることがまさに私が生きている理由。生きているとはどんな感覚かを知っている理由。そして、だからこそ私が海から街へと歩き出した理由。憂いと変遷を旅し始めた理由。” この夜この場にいられたことへの感謝で、だんだんと涙が目に浮かんできたとき、私は皆さんのことを想いました。私たちの物語がどれだけ普通じゃないものか。どれだけ奇妙な出来事によって、私たちが互いと出会い、知り合い、家族や兄弟、姉妹と呼ぶのを妨げたか。私たちを互いに一つにしたのは音楽ではありません。偶然じゃないんです。そんなものよりも、もっと素晴らしいもの。一生かかっても理解できないだろうことであり、理解する必要もないこと。それこそ、私たちが受け取れる最も美しい贈り物じゃないかと思うのです。そこに理解は必要ない。ただシンプルに生きればいいだけ。そして時々、それを最大限に生きることは、自分たちの頭で考えていることと真逆のことだったりするんです。もしも、それが私の印象だけだったとしたら、私は今ここにおらず、誰とも出会っていなかったでしょう。そして、私は今夜の奇跡が、全員をYFE本部に連れてライブをすることではないことに気づきました。本当の奇跡は、私たち全員が一緒にいたこと。バンドメンバー、YFE本部で一緒に生活をしている私たち、そして私たちと一緒にいたあなた。あの夜起きた本当の奇跡は、私たちです。きっと、あの夜、何が起ころうとも、何を感じようとも、何を経験しようとも、そう感じることができたでしょう。そして、これは何か新しいものへの始まりにすぎないのです…
熟睡とは呼べない、寝不足気味な夜を経て、翌日はまたケベックシティへ向かい、来てくれた人たちと一緒にブランチを楽しみました。みんな疲れ切っていたはずですが、それでもその疲れを誰からも感じませんでした。反対に、みんなの笑顔や笑い声が響いていました。いつものように、食事はあまり重要でないんですね。この時間はみんなで一緒に過ごすことについてでした…写真を撮り、アルバムや本にサインをしたり、前夜行ったライブについて話したり、今後起こりうることについて話したり、私たちのパッションや恐れなどについても…何のフィルターもなしに、互いに正直に会話をしました。このブランチは2時間の予定でしたが、結局その2倍の時間を過ごしました。太陽が沈みかけていなかったら、そして古いケベックの街を歩きたいという希望がなければ、まだまだ喋り続けていたと思います!結局、私たちにとっては全てが始まりに過ぎないのです…
そして最後に、こんな夢のように素晴らしい週末を過ごしたあと、現実を最大限に経験することは自分が夢見るどんなものよりも素晴らしく、人生で直面するいかなる惨事も最高の出来事に変えることができると確信を持って言えると思います…