Confront誌インタビュー

Written by Your Favorite Enemies. Posted in インタビュー

CONFRONT: 『Between Illness And Migration』のレコーディングプロセスはどのような感じでしたか?

YOUR FAVORITE ENEMIES: 『Between Illness And Migration』のレコーディングプロセス全体を説明するとしたら、“共通の解放を通した自由”っていうのがベストかな。僕らが自分自身に経験させた自由から、真に特徴的な音楽の瞬間をつくりだすことができたんだ。バンド内で分かち合った交流を反映した音楽的瞬間をね。だって同じ部屋に、みんなで一緒に存在してるっていう、その真実性以外全てを手放したんだ。だからこそ、ほとんどの曲が僕らの施設(数年前に買い取った古いカトリック教会をレコーディングスタジオへと改造した)でライヴレコーディングされたんだ。だから、アルバムに収録されている曲は、僕らにとって真実の瞬間なんだ。みんなで一緒に曲を作り始めたところから、最終ミキシングのプロセスまでね。僕ら6人が魂で奏でる音楽を、そのままシンプルに受け入れることにしたんだ。命が溢れていて、未完全で、ボロボロで、夢見がちで、コントロールがきかなくて、時々危なっかしいほどにずれている…その全て、そして多分更に酷い…でも、それでもなお、完全に自由なんだ。僕らが気にかけたのは、それだけだよ。“自分でいる”という勇気、そしてそれによって生まれるだろうものへの勇気。そこから出来上がったものが、『Between Illness And Migration』を引き寄せたんだ。そこから出来上がったものは、6人の心の触れ合いだよ。僕ら以外の人々がどう思うかなんていう疑いや恐れなしにね。重力からの自由さ。

CONFRONT: 過去のアルバムとこのアルバムの違いは何でしょうか?

YFE: アルバム作りのために、僕らのライヴスタジオルームに初めて全員で集まったときに、とても自然に生まれたものは、バンド全体のダイナミックさとグローバルな視野だったと思う。以前僕らが知っていたこと(または知ってるフリをしていたこと)は、“シンガー/ソングライター/セルフプロデューサー/一匹狼/僕が言ったことだけをやれ”ってタイプのアプローチ、または“不安ーコントロール気違いーアンチクライマックス”的アプローチとも呼べるような、無菌に管理されたようなアプローチだったんだ。このクリエイティブな環境を、そんな“自己保存”的な方法で管理しようとすれば、緊張が生まれるに決まってる。それが、全員が楽しめるようなものでも、みんなで一緒に解放できるようなインスピレーションとなるようなものじゃないのは当然だよね。

だから、僕らがかつて黄金に輝く偽物の笑顔で受け入れていた、そのイライラして耐えられないようなプロセスを、“もしも本物なら、それは開花する”ってタイプの“PLAY – REC”っていう昔ながらのインスピレーションに溢れたライヴレコーディングにしたんだ。それは色々な意味で、そしてだからこそ、“Between Illness And Migration”(憂いと変遷の間)が“Between Epiphanies To Every Other Catastrophes”(悟りと他全ての大惨事)って呼ばれてたかもしれない理由さ。その完全に解放するプロセスと、純粋に自由な本質においてね。

CONFRONT: このアルバムレコーディングから学んだことで、次のアルバム制作にも活かしたいことは何ですか?

YFE:もし、僕らが学んだことが一つあるんだとしたら、どこまでひれ伏し、解放できるかっていう個人的なレベルが全てだってことかな。それが全体に共通する交流と究極的に真の音楽の旅を生むんだ。もしも最高にクリエイティブな環境にいるなら、想像力に欠けた感情的交流を、励みとなるような祈りの部屋へと変えることができるはずだなんていう魔法みたいな考えじゃなくてね。そして信じて、僕ら自身の教会にいるという最高にユニークな感覚は、とてもソウルフルで、数日間は興奮が続いた。でも、すぐに気づいたんだよ。インスピレーションに溢れた悟りは、僕らのクリエイティブな環境のスピリチュアルな性質からは生まれないって。それは、互いにどこまで深く関われるかっていう覚悟から生まれたんだ。プロジェクトに対してじゃなくて、僕ら自身の繋がりに対してね。それが神聖な場所なんだ。

CONFRONT: スタジオで出来上がっていく様を最も楽しんだ曲はどれですか?

YFE: 全員で大広間に立って、それぞれが瞬間へと身を任せているのを見ながら、ほとんど全ての曲をライヴレコーディングしたから、全ての曲がとても特別でユニークな方法で生まれたと言える。たいていは、その後にどうそれを受け入れるかってことなんだ。

でも、もしも1曲選ぶんだとしたら、日本盤のアルバムに収録したオリジナルバージョンの「From The City To The Ocean」かな。これは、混乱とまやかしと幻想に満ちた12分の旅なんだ…恐れによる自分の抑制、そして個人的な無垢の喪失。音楽的なサウンドスケープは、解放による安心を待つ、ツイストされた音のめまい。真夜中にレコーディングしたんだ。自らがつくり出した永遠に続く夕暮れを抜けて、僕らが朝の光を見れるように、この曲が導いてくれたように感じた。そしてステンドグラスから差し込む、あの日の朝日は、ただ最高だったよ。

CONFRONT: 自主レーベルを設立するという決断の背景にはどんな思いがあったのですか?また、それはミュージシャンという立場にマイナスな影響を与えたでしょうか?それとも全く逆でしたか?

YFE: プロセスはとてもシンプルだったよ。だって、役人が必要とかっていうのとはかけ離れたもので、僕らはただ自分たちのヴィジョンを自分たちで管理するっていう風に決めただけだからね。僕らは社会の落ちこぼれ集団で、自信なんか全くないまま、同じような音楽の趣味や精神を持った者同士、予測不可能な流れに完全に巻き込まれたんだ。だから、世界中至るところで人々が僕らの音楽を欲しがっていると知ったとき、僕ら自身、急いでオーガナイズしなきゃいけなかったのさ。そして当時、僕らのヴィジョンは代表者たちと共有されなかったから、じゃあ自分たちで責任を持とうって決めたんだ。

大きな代償を支払うような間違いもしたし、悪い決断もしたし、クレイジーなギャンブルにも負けた。でも、アルバムを成功させられないようなダメな仕事をしてるってことで、レーベルの管理を責めるなんていうチャンスもなかった。僕らはプロジェクトの予算を決めた。ロックスター的なライフスタイルには派手すぎることさ!でもね、もちろん良いこともあったよ!

自主レーベルを持ったことで良かったのは、一つ一つのステップが自分たちが強く信じたものでなきゃいけないっていう風であり続けたこと。だって、僕らの尻拭いをしてくれる人はいないからね。僕らが賭けているものが何かを理解していた。だから、もしもプロジェクトに対して“全員”が賛成しなかったら、僕らはシンプルに見過ごすんだ。何かを強く信じているときには、外部のビジネス世界から、それがどんなに奇妙に見えようと、もしくは周りにいる人々の目にとって、どれがどんなに普通の道から外れていようと、最初に持った自分の信念に従って、全力を傾けられるって強く思うんだよ。何も予定通りにはいかない。本当にね。だから、僕らは互いを信じ、固い絆で結ばれる必要があるんだ。だって、僕らにとって、野望を持つことと、ヴィジョンを持つことは全く違うことだから。野望は幻想の笑いとつかの間の活気を生むけど、ヴィジョンを持つことはインスピレーションに溢れる自由を得る。

でも正直に言うと自主レーベルを持つことによって、何よりも先に、毎日親友たちと一緒に働けるっていう素晴らしい特権を得ることができた。だからこそ、異常なほど長時間の仕事や、狂いそうなくらいノンストップに“集中しろ”っていう精神に関わらず、僕らは“Hopeful Tragedy Records”を伝統的な音楽ビジネスの試みとして見ていない。まず第一にコミュニティであり、ユニークなファミリーだ。僕らのほとんどがレーベル設立の初めから一緒にいる。そしてみんなで一緒に作り上げて来たものは、僕らが想像したものや夢見たものを越えたものなんだ。僕ら全員にとって、ここは“家”と呼ぶ場所なんだよ。

CONFRONT: Kerrang誌に“カナダ最大の隠し玉”として掲載されたときの心境は?

YFE: 他人から見た自分を知るのって特別だよね。何ていうか、僕らはただ僕らの“こと”をしてるだけであって、僕らが建前で参加してるビジネス評論家の目を通した”僕ら”になることは、考えてないんだ。だから、こういうことはいつも、ハッピーな出来事として受け取ってるよ。間違わないでね、僕らは別に“こんなのどうってことないよ”みたいな態度をとってるわけじゃないから。でも、僕らは全てを相対的に見ていて、Kerrang誌に載ったことで、僕がこういう雑誌を読んでたときのことを思い出した。昔は、そこに載ってたバンドやアーティストはこの世のものじゃない、神みたいな存在で、触れることを許されないような存在だって思ってたよ。だから、どんなタイプの広告でも、そこに自分たちを見るのはすごく特別だ…恐れ多いって感じの謙遜的な気持ちと、“夢見たことがこんな形で実現するなんてすごいや”っていう感覚が混ざってる。

そして“カナダ最大の隠し玉”って見なされてることは…まぁ、世界中で輝きを放ってる様々なジャンルの素晴らしいカナダ人たちと共に、僕らは本国で知られていないカナディアンアーティストたちのリストの最後だと思う(笑)そして一度でも、イギリスかニューヨーク出身かって迷われないのは、嬉しいよ。大抵、そう思われるからね。

CONFRONT: カナダ以外の国を多くツアーしていますね。ライブをする上で、あなたが最も驚いた都市や国はどこですか?またその理由も教えて下さい。

YFE: 世界中たくさんの素晴らしい国をツアーすることができるのは、本当に恵まれたことだよ。そうやって様々な文化に浸ったときに、たくさん美しいものを見ることができるのも、最高に恵まれてる。訪れた国それぞれに特別な物語があるんだ。特定の場所での素晴らしい思い出があるんだよ。僕にとって、日本、フランス、中国とイギリスは、ここ数年本当に唯一無二の体験をした場所だ。日本はもうずっと僕にとって特別な場所なんだよ。初めてこの国を訪れたときから、僕が思い描く“家”っていう感覚そのものだって感じたんだ。こういう感情的な繋がりを説明するのは難しいよ。僕が深く必要としていたときの、平和と休息の奥深い感覚なんだ。

フランスは、僕が無になって自分を浸せる真にソウルフルな場所だ。詩を書くものとして、または文学やアートジャンキーとしてだけでなく、人々が大好きだからさ。愛は盲目だっていう人もいるかもしれないけど、パリジャンが最高に歓迎的で温かいって思ったのは、もしかしたら僕だけかもしれないね…!何だって?!?もしパリジャンを嫌ってるなら、それはきっと、彼らに暴力的に叫ばれたことがないからだよ。そこにはロマンチックな側面があるんだ。うーん、もう一回叫んでみて…そうさ、君は正しい。”je suis un enfoiré et je suis un sale connard”(僕はくそったれで、薄汚い奴)このアクセントは、僕の魂にとってのミュージックだ…!笑 中国に関しては、ツアーの経験の中でも最も驚くべき経験をしたところだよ。僕らは中国全土を6週間ツアーしたんだ。僕らが初めてのバンド−いや、多分最初の外国人−として訪れた多くの町では、最高に歓迎的で、好奇心旺盛で、寛容でパッションに溢れる人々と出会った。世代や、地域や町に関わらず、人々は夢が変化を起こすパワーを発見していたんだ。若いキッズたちは、素晴らしく熱かったよ。音楽シーンで言うとしたら、1972年か1979年頃のニューヨークかロンドンって感じ。でも少なくとも、その1000倍!本当に正気じゃないほどで、ものすごかったから、僕らのステージでのアプローチやステージ外での人との触れ合い方も、その時から変わったよ。イギー・ポップのステージダイブやそういう狂った感じのジャンプがマイナーなイベントに見えるくらい、僕らがライヴ中に見た光景はすごかった。あれは“これって自殺行為?それとも解放して自由になるってことのもの凄い表現?”ってタイプの異常さだった。

そして色々言ってきた中でも、イギリスは最もロマンチックな場所だよ。僕らが子供の頃聴いて育ち、そして今でも聴いている大好きなバンドのほとんどがイギリス出身っていうだけでなく、僕らにとってロンドンが全ての始まりの場所なんだ。“流行”やクールであるべきものっていうのに関わらず、初めて“ありのまま”で歓迎されたと感じた場所。僕らはただの僕らだった。かなりめちゃくちゃな。それでもなお、僕ら。当時の僕らにとって、それはとても解放的な感覚だったよ。

CONFRONT: 今でもライブをしたいと思う場所は?

YFE: 日本の京都かな。僕らは年に一度、京都の山深い場所に位置する歴史あるお寺でライヴをしてるんだ。国宝に指定されてるお寺だよ。僕らがそこでライヴをした唯一の外国人ってこともそうだけど、この世のものとは思えない、こんな非凡な場所でライヴをするバンドなんて、そういないよね。お寺を管理している家族は、僕らのファンであって、今じゃ本当の家族のような存在なんだ。だから改めて、僕らの音楽と人に置く価値が、交流するのに最も珍しい場所へと導いてくれたよ。

CONFRONT: バンドについてファンが知らないことを一つあげるとしたら?

YFE: 数年前、ミス・イザベルが僕に聖職者の賛美歌を歌って欲しいと説得したことかな。当時、彼女が関わっていた古い学校のゴスペルのプロジェクトだよ。多分、僕のJohn Lydonがおかしく混ざったような、もしくはNick CaveがDon Mclean、Phil OchsやJackson C Frankと出会ったような演出のミックスが、ミス・イザベルにこのプロジェクトを今でも考慮させている理由かもしれないね…笑

CONFRONT: 現在活躍中でも故人でも、もしも一緒にパフォーマンスできるとしたら、どのアーティストが良いですか?またその理由も教えて下さい。

YFE: バンドみんなに共通した選択は、絶対にJoe Strummerだね。主に、彼の音楽が、僕の最も辛い十代の時期を耐えぬくのに勇気をくれたから…そして、僕がライブハウスの2階のバルコニーから迷いもなく観客へとジャンプする主な理由が彼だから。Kurt Cobainも共通の選択になるかな。彼のパッションと完全な解放においてね。でも、もしも一人だけっていうんなら、Nick Caveだな。理由は彼がNick Caveだから。彼のような人は他に誰もいないし、なれない…それだけで僕にとっては十分すぎるほどの理由だよ!!!

CONFRONT: 最近あなたのプレイリストでリピートされているアーティストと、その曲/アルバムを3つあげて下さい。またその理由は?

YFE: Nick Cave And The Bad Seeds – Abattoir Blues

こういうアルバムは、ゆっくりと魂に馴染んでいくタイプの音楽で、やがて自分を人として完全に変えてくれるアルバムだよ。そして何となく、そのカオス、そのノイズ、そのスピリット、その奇妙な囁きと平和な叫びにやみつきになるんだ。

Savages – Silence Yourself

これは最近僕がハマっている音楽だよ。僕が聴きながら育ったような音楽が、新しい情熱と激しさで表現されているのを聴くのは新鮮だよ。ハラハラするようなトーンと寛容なセンスの緊急性もある。シンプルにそうである必要があるんだ。フリをすることなく。そこにあるのは、今日の個性のないつまらない音楽への一撃だよ。

Sonic Youth – Sonic Nurse

僕が生涯大好きなアルバムの一つだ。薄汚れた60年代と Velvet Underground が混ざったようなサウンド。ノイズとサイケっぽいメロディーをユニークな方法で調和させている不協和音なツイスト。そして何よりも、ほとんどのアルバムが個人的なレベルで経験する旅なんだ…それがどんな意味を持っていて、どこへ導こうとね。

CONFRONT: 2014年のYour Favorite Enemiesに、ファンが期待できることは?

YFE: カードはかなりシャッフルされてるよ。というのも、アルバム“Between Illness And Migration”のリリースを、国ごとに発売していくっていうユニークなスケジュールにしたからね。だからとても忙しい1年になる。僕らは今まさにバルセロナにいるんだ。6週間のイギリスプロモツアーに出発する前に、次のシングルのビデオを撮りたくてね。僕らは5週間の中国ツアーに出て、フランス限定で特別なEPも発売する…その全てが、カナダバージョンの“Between Illness And Migration”がリリースされる5月20日までのスケジュールだよ。そしてその後は初めて本国をツアーしてまわる。夏はヨーロッパのフェスティバルに参加し、更に秋には僕ら自身のサーカスを連れてまた戻る。ビタミン剤、アドレナリン注射と輸血バッグが、バンドの“2014年サバイバルキット”の名に上がってるよ(笑)

インタビュー全文を読む!